し公平、このほか名鳥限りなく、その座にして強きを求めてあたら小判を何ほどか捨てけると出《い》づ。その頃までも丸の字を鶏の名に付けたが、また丸の字なしに侠客や喧嘩がかった名をも附け、今不二の山と岸崩しが上出英国のビークン山とビーチェン崖に偶然似ているも面白い。
 吉田巌君説(『郷土研究』一巻十一号六七二頁)に、国造神が国土を創成するとき、鶏は土を踏み固め、鶺鴒《せきれい》は尾で土を叩いて手伝った。そこで鶏は今も土を踏みしめて歩き、鶺鴒は土を叩くように尾を打ち振るのだとアイヌ人は言い伝うと。鶏は昔はアイヌに飼われなかったから、天災地妖の前兆などの対象物としては何らの迷信もきかぬ。星や、日、月、雲などについて種々の卜占法の口伝があるように、鳥類のある物たとえば烏などについては特殊の口碑があって、その啼《な》き音に吉凶の意味ある物と考えられて居るが、鶏のみはこの種の口伝を持たぬとあって、あるアイヌ人が鶏の宵啼きや、牝鶏の時を作るを忌むを不審した由を記された。日本人は古く鶏を畜《か》い、殊に柳田氏が言われた通り、奥羽に鶏を崇拝した痕跡多きに、その直隣りのアイヌ人がかくまで鶏に無頓著《むとんじゃく》だったは奇態だが、これすなわちアイヌ人が多く雑居した奥羽地方で、鶏を神異の物と怪しんで崇拝した理由であるまいか。西半球にはもと鶏がなかったから、その伝説に鶏の事乏しきは言うを俟《ま》たず。
 前に鶏足の事を説いた時に言い忘れたからここに述べるは、ビルマのカレン人の伝説に、昔神あり、水牛皮に宗旨と法律を書き付けてこの民を利せんとし一人に授く、その人これを小木上に留め流れを渡る。暫くありて帰り見れば犬その巻物を銜《くわ》えて走る。これを追うと犬巻物を落す。その人拾いにゆく間に鶏来って足で掻き散らし、字が読めなくなった。神書に触れたもの故とあって、カレン人は鶏の足を尊べど、その身を食うを何とも思わぬ。戸の上また寝床の上に鶏足を置いて、土中と空中に棲む悪鬼シンナを辟《さ》くと(一八五〇年シンガポール発行『印度群島および東亜雑誌』四巻八号四一五頁、ロー氏説)、支那では蒼頡《そうけつ》が鳥の足跡を見て文字を創《はじ》めたというに、この民は神が書いた字を鶏が足で掻き消したと説くのだ。
[#地から2字上げ](大正十年三月、『太陽』二七ノ三)

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 前項に書いたほかにまだまだ弥勒《みろく》と僭称した乱賊の記事がある。『松屋筆記』六五に『二十二史|箚記《さっき》』三十巻、元の順帝の至正十一年、〈韓山の童|倡《とな》えて言う、天下大いに乱れ、弥勒仏下生すと、江淮《こうわい》の愚民多くこれを信ず、果して寇賊蜂起し、ついに国亡ぶるに至る、しかるにこの謡は至正中より起るにあらざるなり、順帝の至元三年、汝寧《じょねい》より獲るところの捧胡を献ず、弥勒仏小旗、紫金印の量天尺あり、而して泰定帝の時、また先に息州の民|趙丑斯《ちょうちゅうし》、郭菩薩等あり、謡言を倡え、弥勒仏まさに天下を有《も》つべしという、有司以て聞す、河南行省に命じてこれを鞫治《きくち》せしむ、これ弥勒仏の謡すでに久しく民間に播《ま》くなり、けだし乱の初めて起る、その根株を抜かず、ついに蔓延して救うべからざるに至る、皆法令緩弛の致すところなり云々〉。本朝にも弥勒の名を仮りて衆を乱せし事歴史に見ゆとありて、頭書に『輟耕録《てっこうろく》』二十九にも出《い》づとあるから取り出し読むと、果して至正十一年、執政脱々が工部尚書|賈魯《かろ》を遣わし、民夫十五万と軍二万を役して黄河を決せしめ、道民生を聊《やすん》ぜず、河南の韓山童乱を作《な》し、弥勒仏の出世を名となし、無頼の悪少を誘集し、香を焼《た》き、会《え》を結び、漸々|滋蔓《じまん》して淮西の諸郡を陥れ、それより陳友諒・張士誠等の兵|尋《つい》で起り、元朝滅亡に及んだ次第を述べ居る。本朝にも弥勒の平等世界を唱えて衆を乱した事歴史に見ゆとは何を指すのかちょっと分らぬが、『甲斐国妙法寺記』に、永正三|丙寅《ひのえとら》、この年春は売買去年冬よりもなお高直《こうじき》なり。秋作はことごとく吉《よし》、ただし春の詰まりに秋|吉《よ》けれども、物も作らぬ者いよいよ明けし春までも貧なり。この年半ばの頃よりも年号替わるなり云々とありて、永正四|丁卯《ひのとう》、弥勒二年丁卯と並べ掲ぐ。山崎|美成《よししげ》の書いた物にこの年号の考あったと覚ゆれど今ちょっと見出さず。『一話一言』一六に、『会津旧事雑考』より承安元年|辛卯《かのとう》を耶麻郡新宮の神器の銘に、弥勒元辛卯と記した由を引き、三河万歳《みかわまんざい》の唱歌に、弥勒十年辰の歳、諸神の立ちたる御屋形と唄うも、いずれなき事にはあらじかし、とある。永正三丙寅と承安元辛卯、いずれも弥勒元年とするもその十年は乙亥
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