月十九日分に出た、いわく、百五十年ほど前、一尼僧この地に来り、松葉屋に泊り出立せしを、松葉屋と中屋の二主人が途中で殺し、その金を奪うた報いで両家断絶し、今にその趾《あと》あり云々。これを誤報附会したのでないかと。この竜神氏、当主は余の旧知で、伊達千広(陸奥宗光伯の父)の『竜神出湯日記』に、竜神一族は源三位頼政《みなもとのさんみよりまさ》の五男、和泉守頼氏《いずみのかみよりうじ》この山中に落ち来てこの奥なる殿垣内《とのがいと》に隠れ住めり、殿といえるもその故なり。末孫、今に竜神を氏とし、名に政の字を付くと語るに、その古えさえ忍ばれて「桜花本の根ざしを尋ねずば、たゞ深山木《みやまぎ》とみてや過ぎなむ」とあるほどの旧《ふる》い豪家故、比丘尼を殺し金を奪うはずなく全くの誤報らしいが、また一方にはその土地の一、二人がした悪事が年所を経ても磨滅せず、その土地|一汎《いっぱん》の悪名となり、気の弱い者の脳底に潜在し、時に発作して、他人がした事を自家の先祖がしたごとく附会して、狂語を放つ例も変態心理学の書にしばしば見受ける。
金製の鶏でなく正物の鶏を宝とした例もある。元魏の朝に漢訳された『付法蔵因縁伝』五に、馬鳴《めみょう》菩薩|華氏城《かしじょう》に遊行教化せし時、その城におよそ九億人ありて住す。月支《げっし》国王名は栴檀《せんだん》※[#「罘」の「不」に代えて「厂+(炎+りっとう)」、第4水準2−84−80]昵※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]《けいじった》、この王、志気雄猛、勇健超世、討伐する所|摧靡《さいひ》せざるなし、すなわち四兵を厳にし、華氏城を攻めてこれを帰伏せしめ、すなわち九億金銭を索《もと》む。華氏国王、すなわち馬鳴菩薩と、仏鉢《ぶつばつ》と、一の慈心鶏を以て各三億金銭に当て、※[#「罘」の「不」に代えて「厂+(炎+りっとう)」、第4水準2−84−80]昵※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]王に献じた。馬鳴菩薩は智慧殊勝で、仏鉢は如来《にょらい》が持った霊宝たり。かの鶏は慈心あり。虫の住む水を飲まず。ことごとく能く一切の怨敵《おんてき》を消滅せしむ。この縁を以て九億銭の償金代りに、この三物を出し、月支国王大いに喜んで納受したそうだ。これは実に辻褄の合わぬ噺《はなし》で、いわゆる慈心鶏が一切の怨敵を消滅せしむる威力あらば、平生厚く飼われた恩返しに、な
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