事西洋にも多い。グベルナチス伯の『動物譚原』二巻二九一頁にいわく、鶏卵天にありては太陽を表わす。白い牝鶏は金の雛《ひな》を産むとて特に尊ばる。イタリアのモンフェラトではキリスト昇天日に新しい巣で生まれた卵は胃と頭と耳の痛みを治し、麦畑に持ち往けば麦奴の侵害を予防し、葡萄《ぶどう》園に持ち往けばその葡萄が霰《あられ》に損ぜずと信ぜらる。復活祭の節、キリスト教徒が鶏卵を食い相|贈遺《ぞうい》するに付いて、諸他の習俗、歌唄、諺話、欧州に多いが、要するに天の卵より雛の生まれ出るにキリストの復活を比べ、兼ねて春日の優に到ると作物の豊饒を祝うたのだ。古ギリシアやインドの創世紀は金の卵に始まり、世界は金の卵より動き始め、動くは善の原則たり、光明あり労働し利世する日は金の卵に生ず、故に一日の始めに卵を食うは吉相で、ラテン語の諺《ことわざ》にアブ・オヴォ・アド・マルム(善より悪へ)というはもと卵より林檎《りんご》への義だ。古ラテン人は食事の初めに煮固めた卵、さてしまいに林檎を食ったので、今もイタリアにその通り行う家族多し、また古ギリシアの諺にエキス・オウ・エキセルテン、卵より生まるというは絶世の美人を指したので、その由来は、大神ゼウスがスパルタ王ツンダレオスの妻レーダに懸想し、天鵞に化けてこれを孕《はら》ませ二卵を産んだ。その一つから艶色無類でトロイ戦争の基因たるヘレネー女、今一つから、カストルとポルクスてふ双生児が生まれたからだとあるが、天鵞形の神に孕まされて生んだ卵は天鵞卵で鶏卵でなかろう。何に致せグベルナチス伯の言のごとく、世界は金の卵から動き始める理窟だから、金の卵の噺《はなし》から書き始めようとしても、幾久しく聞き馴れた月並の御伽噺《おとぎばなし》にありふれた事では面白からず、因って絶体絶命、金の卵の代りにキンダマ譚《ばなし》からやり始める。
 けだし金の卵とキンダマ、国音相近きを以てなるのみならず、梵語でもアンダなる一語は卵をも睾丸をも意味するからだ。支那でも明の劉若愚の『四朝宮史酌中志』一九に内臣が好んで不腆《ふてん》の物を食うを序して、〈また羊白腰とはすなわち外腎卵なり、白牡馬の卵に至りてもっとも珍奇と為す、竜卵という〉。『笑林広記』に孕んだ子の男女いずれと卜者に問うに、〈卜し訖《おわ》りて手を拱いて曰く、恭喜すこれ個の卵を夾《はさ》むもの、その人甚だ喜び、いわく男子
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