て今に至った。既に実情を知られた上は久しく駐《とど》まるべきでないから別れよう、しかるに汝に知らさにゃならぬ一事あり、前日汝の父の冤家が、冥王庁へ汝の父にその孫や兄弟を食われたと訴え出たが、われ汝と縁厚きによりすみやかに裁断せず、冥王これを怒って我を笞《むち》うつ事一百、それより背が痛んでならぬ、さて只今王が汝の父を喚《よ》び寄せ、自ら訊問し判して死籍に入れるところだから、汝急いで家に帰れ、さて父がまだ息《いき》しいたら救い得る故、清酒、鹿脯《ろくほ》を供えて我を祭り、我名を三度呼べ、我必ず至るべし。もし気絶えいたら救いようがない。汝すでに学成ったから努力して立身を謀《はか》れ、我まさに汝を助けて齢《よわい》を延ばし、上帝に請いて汝に官栄を与うべし、また疾病なきを保《ほ》せんと言って別れた。
 子珍すなわち辺先生を辞し、家に帰って父を見るに、なお息しいるので、火急に酒脯銭財を郊に致《いた》し、祭り、三たびその名を呼ぶと、玄石白馬に乗り、朱衣を著《つ》け、冠蓋《かんがい》前後騎従数十人、別に二人の青衣あって節を執って前引し、呵殿《かでん》して来り、子珍|相《あい》見《まみ》えて一《いつ》に旧時のごとし。玄石、子珍に語るよう、汝眼を閉じよ、汝を伴れ去って父を見せようと。珍目を閉づるに須臾《しゅゆ》にして閻羅《えんら》王所の門に至り北に向って置かる。玄石、子珍に語ったは、向《さ》きに汝を伴れて汝の父を見せんと思いしも、汝の父、今牢獄にあって極めて見苦しければ、今更見るべきにあらず。暫くの内に汝が父の冤家がここへ来る、白衣を著《き》、跣足《はだし》で頭に紫巾を戴《いただ》き、手に一巻の文書を把《と》る者がそれだ。その人は※[#「日+甫」、第3水準1−85−29]《く》れ時にこの庁に入って証問さるるはずだ。われ汝に弓箭を与え置くから、それを取ってかの人来るを候《うかが》い、よくこれを射殺さば汝の父は必ず活くべきも、殺し損わば救いがたいという内に、果して右様の人がやって来た。玄石サアこれだ、我は役所に入って判決するから、汝はしっかりやれと言うて去った。いくばくならずして冤家直ちに案前《あんぜん》に来り、陳訴する詞《ことば》至って毒々し。子珍矢を放つと、その左眼に中《あた》り、驚いて文書を捨て置き走り出た。文書を取って読むに、子珍の父の事を論じあった。珍泣いて玄石に告げると、射殺
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