々と、税目《ぜいもく》日に新たなるを加うる様子だが、ややもすれば名は多少違いながら、実は同じ物から、二重三重取りになるから、色々と抗議が出る。そこで余は隋帝の故智《こち》に倣い、秀吉とか家康とか種々雑多の人物が国家のために殺生した業報《ごっぽう》で、地獄に落ちおるのを救うためと称して、毎度一人一銭ずつの追福税を厳課し、出さぬ奴の先霊もたちまち地獄へ落ちると脅《おど》したら、何がさて大本教を信ぜぬと目が潰れるなど信ずる愚民の多い世の中、一廉《ひとかど》の実入りを収め得るに相違ない。末広一雄君の『人生百不思議』に曰く、日本人は西洋人と異なり、神を濫造し、また黜陟《ちゅっちょく》変更すと。既に先年|合祀《ごうし》を強行して、いわゆる基本財産の多寡を標準とし、賄贈《わいぞう》請託を魂胆《こんたん》とし、邦家発達の次第を攷《かんが》うるに大必要なる古社を滅却し、一夜造りの淫祠を昇格し、その余弊今に除かれず、大いに人心|蕩乱《とうらん》、気風壊敗を致すの本《もと》となった。しかし毒食らわば皿までじゃ。むしろその事、葬式、問い弔いを官営として坊主どもを乾《ほ》し上げ、また人ごとに一銭の追福税を課し、小野篁《おののたかむら》などこの世と地獄を懸け持ちで勤務した例もあり、せせこましい官吏どもに正六位の勲百等のと虚号をやったって何の役に立たず、恐敬もされぬから、大抵人民を苦しめた上は神をすら濫造黜陟する御威勢で、それぞれ地獄の官職に栄転させ、中国で貨幣を画《えが》き焼いて冥府へ届くるごとく、附け木へ六道銭を描いて月給に遣わすべしだ。それから今一つよい税源は、余が大正二年八月十四日の『不二新聞』へ書いた通り十四世紀のエジプト王ナーシルは、難渋な財政を救うべく、毎《つね》に女官をして高位の婦女の隠事を検せしめ、不貞税というやつを重く取り立てた。同世紀に文化を誇った仏国にも、ロア・デ・リボー(淫猥《いんわい》王)わが邦中古|傀儡《くぐつ》の長吏様の親方が所々にあって本夫《ほんぷ》外の男と親しむ女人より金五片ずつの税を徴した(ミュアーの『埃及《エジプト》奴隷王朝史』八三頁、ジュフールの『売靨史《ばいようし》』四巻二四頁)。現今わが邦男女不貞の行い夥しく、生温《なまぬる》い訓誡や、説法ではやむべくもあらざれば、すべからくこれに禁止税を掛くるべく、うるさく附け纒《まと》われて程の知れぬ口留め料を警
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