ち目開く、その歌は「には鳥のなくねを神の聞きながら心強くも日を見せぬかな」とある。
 耶蘇教国にもややこの類の話がスペインにある。昔青年あり老父母とサンチアゴ・デ・コンポステラへ巡礼に出た。サンチアゴ(英語でセント・ジェームス、仏語でサン・ジャク)大尊者はキリストの大弟子中、ペテロに亜《つ》いだ勢力あり。その弟、ジョアンとともにキリストの雷子と呼ばる。後《のち》殉教に臨みこれを訴えし者、その為人《ひととなり》に感動され、たちまちわれもまたキリスト教徒なりと自白し、伴い行きて刑に就く。途上尊者に向い罪を謝し、共に斬首された。この尊者かつてスペインに宣教したてふ旧伝あって、八三五年にイリアの僧正テオドミル、奇態な星に導かれてその遺体を見出してより、そこをカンポ・ステラ(星の原)、それが転じてコンポステラと呼ばれたという。コンポステラの伽藍《がらん》に尊者の屍を安置し霊験灼然とあって、中世諸国より巡礼日夜至って、押すな突くなの賑《にぎわ》い劇《はげ》しく、欧州第一の参詣場たり。因ってスペイン人は今も銀河《あまのがわ》をエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ。これ『塩尻』巻四六に、中古吉野初瀬|詣《もう》で衰えて熊野参り繁昌し、王公|已下《いか》道者の往来絶えず、したがって蟻《あり》が一道を行きてやまざるを熊野参りに比したとあり。今も南紀の小児、蟻を見れば「蟻もダンナもよってこい、熊野参りにしょうら」と唱うるは、昔熊野参り引きも切らざりし事、蟻群の行列際限を見ざるようだったに基づく。それと等しく銀河中の星の数、言語に絶して夥しきを、サンチアゴ詣での人数に比べたのだ。そのサンチアゴ・デ・コンポステラへ老父母と伴れて参る一青年が、途上サンドミンゴ・デラ・カルザダで一泊すると、宿主の娘が、一と目三井寺|焦《こが》るる胸を主《ぬし》は察して晩《くれ》の鐘と、その閨《ねや》に忍んで打ち口説《くど》けど聞き入れざるを恨み、青年の袋の内へ銀製の名器を入れ置き、彼わが家宝を盗んだと訴え、青年捕縛されて串刺《くしざ》しに処せられた。双親老いて若い子の冤刑《えんけい》に逢い、最も悲しい悲しさに涙の絶え間なしといえども、さてあるべきにあらざれば志すサンチアゴ詣でを済まし、三人伴れて出た故郷へ二人で帰る力なさ、せめて今一度亡児の跡を見収めにとサンドミンゴに立ち寄ると、確かに刑死を見届け
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