来たのだ。さて彼女が夫を伴《つ》れ去らんとするに臨み、侯呼び還して、今後また汝の夫が干戈《かんか》を執ってわが軍に向わばどう処分すべきやと尋ねると、女大いにせき込んで「眼も鼻も手足もわが夫の物なれば罪相応に取り去られよ、夫の身にありながら妾の専有たる大事の物は必ず残してくだされ」と、少しの笑顔も悪《にく》からず、あぶないぞえと手を採って導き帰るぞ哀れなるとある。
 昔趙人|藺相如《りんしょうじょ》が手に鶏を縛るの力なくして、秦廷に強勢の昭王をやりこめ天下に二つとない和氏《かし》連城の玉を全うして還ったは、大枚の国費で若い女や料理人まで伴れ行き猫の欠《あくび》ほどの発言も為《な》し得なんだ人物と霄壌《しょうじょう》だが、このギリシア婦人が揚威せる敵軍に直入して二つしかないその夫の大事の玉を助命して帰ったは、勇気貞操兼ね備わり、真に見揚げたとまで言い掛けたが、女を見揚ぐるはどこぞに野心あるからと仏が戒めたから中止として、谷本博士が言われた通り、婦女に喉を切る嗜《たしな》みなどを仕込むよりは、睾丸の命乞いは別として、勇胆弁才能く敵将を説伏するほどの心掛けを持たせたい事である。
 俗に陰嚢の垂れたるは落ち着いた徴《しるし》で、昔武士が戦場で自分の剛臆を試むるに陰嚢を探って垂れ居るか縮み上ったかを検したというが、パッチ股引《ももひき》ジャあるまいし甲冑を著《き》て容易《たやす》く探り得ただろうか。したがって陰嚢の垂れた人は気が長いという。これは本当で、かく申す熊楠のは何時《いつ》も糸瓜《へちま》のごとし。それ故か何事をも糸瓜とも思わず、ブラブラと日を送るから昨年の「猴に関する民俗と伝説」も麁稿《そこう》は完成しながら容易に清書せず忘れてしまい、歳迫ってようやく気が付き清書に掛かったが間に合わず、ついに民俗までで打ち切って伝説の部は出し得なんだに由って今この篇は先例を逆さまに伝説から書き始めた。こんな気の長い人が西洋にもあったものか、チャムバースの『ブック・オヴ・デイス』に珍譚あり。昔話に物言わずに生まれ付いた人が騎馬して橋を過ぐる内、顧みてその家来に汝は鶏卵を好くかと問うとハイ好きますと答えた。何事もなしに一年経って一日同じ橋を騎馬で過ぐる内、同じ家来に去年の問いを続けるつもりでどんなのをと問うと、家来も抜からず焼いたのであります。これよりも豪いのはグラスゴウ附近カムプシーち
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