兎に似て短く、高樹上に棲息し、風を候《うかご》うて吹かれて他樹に至りその果を食う。その尿乳のごとく甚だ得がたし、諸風を治すと。明の李時珍諸書を考纂していわく、その獣嶺南および蜀西山林中に生ず、状《かたち》は猿猴のごとくで小さし、目赤く尾短くてなきごとく青黄にして黒し、昼は動かず、夜は風に因って甚《いと》捷く騰躍し巌を越え樹を過ぎて鳥の飛ぶごとし、人を見れば羞《は》じて叩頭《こうとう》憐みを乞う態のごとし、これを打てばたちまち死す、口を以て風に向えば復活す、その脳を破りその骨を砕けばすなわち死すと。
[#「第3図 飛狐猴」のキャプション付きの図(fig2539_03.png)入る]
漢の東方朔の『十洲記』には南海中の炎洲に風生獣あり、豹に似て青色、大きさ狸(野猫)のごとし、網で捕えて薪《まき》数車を積み焼くに、薪尽きても燃えず灰中に立ち毛も焦げず、斫《き》っても刺しても入らず、打てば灰嚢のごとし、鉄槌《かなづち》で数十度打ってようやく死ねど、口を張って風に向ければ暫くして復《また》活《い》く、石菖蒲でその鼻を塞《ふさ》げば即死す。その脳を菊花に和し十斤を服せば五百年生き得と。唐の孟※[#「王+官」、第3水準1−88−12]の『嶺南異物志』には、この獣常に一杖を持って指《さ》すに、指された鳥獣皆去る能わず、人を見れば杖を捨つ、人この獣を捉えあくまで打てば杖を指し示す、人その杖を取って物を指し欲するところに随わしむと載す。奇怪至極な話だがつらつら考えるにこれはコルゴを誇張したのだ。コルゴ(第三図)英語でフライイング・レムール(飛狐猴)、またフライイング・キャット(飛猫)、「乳母ここにももんがあがと子供いい」というモモンガに似たようだが、全く別類で、モモンガは前後脚の間にのみ張った皮膜ありて樹上から飛び下るを助くるが、コルゴの飛膜は前後脚間に止まらず前脚と頸側、後脚と尾の間にも足趾間にも張られ居る状《さま》蝙蝠《こうもり》に髣髴《ほうふつ》たり。だが蝙蝠の翅膜に毛がないと異なり、コルゴの膜は下面ほとんど裸で上面は毛が厚く生え居る。昼は蝙蝠同然樹からぶら下がって睡り、夜は件《くだん》の膜を張って樹から樹へ飛び歩き葉と虫を食う。清水の舞台から傘さして飛ぶように無難に飛び下るばかりで、鳥や蝙蝠のごとく一上一下はし得ないから、南方先生の居続け同然数回飛べばどん底へ下り、やむをえず努力して樹梢に昇り、また懲りずまに飛び始めざるを得ず。ただし居続けも勉強すると随分長くやれる。コルゴ先生も今はなかなか上手に飛び、数百ヤードの距離を飛ぶにその距離五分の一だけ下るとは飛んだ飛び上手だ。この獣以前は猴の劣等な狐猴の一属とされたが、追々研究して蝙蝠に縁近いとか、ムグラモチなどと等しく食虫獣だとか議論定まらず。特にコルゴのために皮膜獣なる一類を建てた学者もある。惟うに右述ぶごとくほとんど横に平らに飛び下るから支那で平猴と名づけたので、『十洲記』に南海中の炎洲に産すというも、インド洋中の熱地ジャワ、ボルネオ、スマトラを指したものであろう。現にこれら諸島とマレー半島、シャム、ビルマ、インドに一種を出すがそれに四、五の変種あり。それより耳短く、頭小さく、上前歯大なる一種はルソンに産す。その毛オリヴ色で白き斑《ふ》あり猫ほど大きく、尋常の方法では殺し切れぬくらい死にがたい(一八八三年ワリスの『巫来《マレー》群島記』一三五頁)のが、平猴の〈大きさ狸(野猫)のごとし、その色青黄にして黒、その文豹のごとし、これを撃っては倏然《しゅくぜん》として死す。口を以て風に向かえば、須臾《しゅゆ》にしてまた活く〉(『本草綱目』五一)てふ記載に合い、昼|臥《ふ》し夜飛び廻る上に、至って死にがたい誠に怪しいもの故種々の虚談も支那書に載せられたのだ。さて仙人能く飛ぶに合せてその脳を食えば長生すとか、その杖を得れば欲するところ意のごとしとかいい出し、支那人は中風大風(癩病)等を風より起ると見たから、風狸の一名あるこの獣の尿は諸風を治すと信じたのだ。昨今支那にコルゴを産すと聞かぬが、前述の仰鼻猴や、韓愈の文で名高い※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《わに》など、ありそうもない物が新しく支那で見出されて学者を驚倒させた例多く、支那の生物はまだとくと調査が済まない。したがって予は南支那に一種のコルゴが現存するか、昔棲んだかの証拠がそのうち必ず揚がると確信する。さて話はこれから段々いよいよ面白くなるんだからして、聞きねえ。[#地から2字上げ](大正九年一月、『太陽』二六ノ一)
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『仏本行集経』三三に、仏、成道《じょうどう》して最初に説法すべき人を念じ、優陀摩子《うだまし》然《しか》るべしと惟《おも》うに、一天神来りて彼は七日前に死んだと告ぐ。世尊内
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