が食を探る最中一つまた三、四の老猴が番していて怪しき事あれば急に叫んで警報する事、前にパーキンスから引いたアビシニアの狗頭猴に同じ。支那人は善く候するゆえ猴というと説いた。そのごとく猴の酋長が四通八達の道の衢すなわち辻にありて群猴が田畠を荒すを番守したのでこれを衢の神とし、従って道路や旅行の神とし、旅行に盗難は付き物なる上猴の盗み上手な事前述通り驚くに堪えた者多く、ジュボアはインド人が猴を神視する一つの理由はその盗を能くするにありと言ったくらい故、これを盗みの神とし盗みに縁ある足留めの神ともしたのだ。
それから猴の話に必ず引かるる例の『今昔物語』巻の二十六、飛騨国猿神生贄を止むる語《こと》第八に、猴神に痩《や》せた生贄を供うれば、神怒りて作物も吉《よ》からず、人も病み郷も静かならず、因って生贄に供うべき人に何度ともなく物多く食わせ太らする習俗を載す。凶年に病人多く世間|騒擾《そうじょう》するはもちろんだが、この文に拠ればその頃飛騨で猴神を田畑の神としたのだ。他処は知らず今も紀州に猴神の社若干あり、祭日に百姓ども五、六里も歩んで詣《もう》ずる事少なからぬ。さるまさると『靭猿《うつぼざる》』の狂言に言えるごとく、作物蕃殖を猴の名に寄せて祝い祈るという。猴が作物を荒す事甚だしき例は前にも載せたが、なおここに一、二を挙げんに、『酉陽雑俎』四に〈婆弥爛国西に山あり、上に猿多し、猿形|絶《はなは》だ長大、常に田を暴らす、年に二、三十万あり、国中春起ちて以後、甲兵を屯集し猿と戦う、歳に数万殺すといえども、その巣穴を尽くす能わず〉。アストレイの『新編航記紀行全集』二所収、一六九八年ブルユウの『第二回サナガ河航上記』に、西アフリカのエンギアンバてふ処に猴夥しく畑を甚だしく損ずる上、隙《すき》さえあれば人家に入り自分が食い得る以上に多く耗《へら》す故、住民断えず猴と戦争す、欧人たまたま奇物として猴を買うを見て訳が分らず、鼠を持ち来ってこれも猴と同じくらい食物を荒すから同価で買い上げてくれと言うた由。熊野の五村てふ処の人いわく、猴が大根畑へ付くと何ともならず、引き抜いて根を食いおわって丁寧に根首を本処へ生け込み置く故一向気付かず、世話焼くうち萎《しお》れ始めてようやく気が付く事ありと。されば最初猴を怕《おそ》るる余りこれに食を供してなるべく田畑を荒さぬよう祈ったのを、後には田畑を守り作物を豊穣にする神としたので、前に載せた越前の刀根てふ処で、今に猴神に室女を牲した遺式を行いながら毎年田畑のために猴狩りを催すは、崇めるのか悪《にく》むのか辻褄《つじつま》の別らぬようだが、昔猴を怕れ敬うた事も分り、年々殺獲する猴の弔いに室女を捧げてその霊を慰める義理立てにも当るようだ。盗賊|禦《ふせ》ぎに許されて設けた僧兵が、鴨川の水、双六《すごろく》の賽《さい》ほど法皇を悩ませたり、貿易のために立てた商会がインドを英国へ取ってしまう大機関となったり、とかく世間の事物は創立当時とその意味が変る物と見える。
『酉陽雑俎』巻十一に道士|郭采真《かくさいしん》言う、人の影の数九に至ると。この書の著者|段成式《だんせいしき》かつて試みて六、七に至りしがそれ已外《いがい》は乱れて弁ぜず、郭いわくようやく炬を益せばすなわち別つべしとありて、九影の神名を書いた物あったが虫に食われて紙面全からず皆まで分らぬと出《い》づ。予五、六歳の時|行燈《あんどん》を多く点《とも》し自分の影が行燈の数ほど増すを見て至って分り切った事と思うたが、博識ほとんど張華の流かと言われた段氏がこれほどの事を不思議がったは馬鹿げて居る。一七八七年七月九日ロンドンの街上を行く一紳士一貴婦にエリオット博士ちゅう学者が小銃を放ち、いずれも傷つかなんだがその婦人の衣は破れ、二人とも大いに愕《おどろ》いたので博士は入牢した。その時博士の諸友これを発狂の所作として申告した内に癲狂院《てんきょういん》を司るシムモンス博士あり。当時高名の精神病学者でもっとも世に重んぜられた人だが、自分はエリオットと親交十余年深くその狂人たるを知ると言ったので、その確証を述べよと問われて判官に答えたは、この頃エリオットが学士院へ提出するとて草した天体の光に関する論説を自分に贈った。これ確かに彼が狂人たる十分の証拠だという事で法廷で読み上げた内に「日は通常星学家が説くごとき火の塊でなく、実は日の上に濃くあまねく行き渡った光気(オーロラ)ありて日光を発し、その下なる太陽面の住民に十分光りを与え得るが、随分遠距離にあれば住民の迷惑にもならぬ」という一節こそ、殊に気違いの証拠だと述べた。判官は異常な学説を狂人の所作といえば精通真面目の星学家で狂人にしてしまわるる者多からんとて受け付けなんだ。しかし法律上の沙汰でエリオットが同時に射た二銃とも丸《たま》
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