《しゃれ》て置く。[#地から2字上げ](大正九年十一月、『太陽』二六ノ一三)
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ラーマーヤナの譚をわが国で最も早く載せたは『宝物集《ほうぶつしゅう》』で治承の頃平康頼が筆すという。その略にいわく、昔釈迦如来|天竺《てんじく》の大国の王と生まれて坐《いま》しし時、隣国舅氏国飢渇してほとんど餓死に及べり。舅氏国の人民相議して我らいたずらに死なんより、隣の大国に向うて五穀を奪い取って命を活くべし、一日といえども存命せん事、庶幾《こいねが》うところなりとて、すでに、軍、立つを大国に聞き付けて万が一の勢なるが故に軽しめ嘲りて、手捕《てどり》にせんとするを聞きて、大臣公卿に宣《のたま》わく、合戦の時多くの人死せんとす。願わくば軍を止むべしと制したまいしかば、宣旨《せんじ》と申しながらこの事こそ力及び侍《はべ》らね[#「侍《はべ》らね」は底本では「待《はべ》らね」]、隣国進み襲うを闘わずば存命すべからずと申し侍《はべ》りければ、大王|窃《ひそ》かに后を呼んで、我れ国王として合戦を好まば多くの人死せんとす、我れ深山に籠《こも》りて仏法を修行すべし、汝は如何思いたもうと宣いければ、后今更に如何離れ奉らんとのたまいければ、ついに大王に具して深山に籠りたまいぬ。大国の軍、国王の失せたもう事に驚きて戦う事なくして小国に順《したが》いぬ。大王深山にして嶺の木の子を拾い、沢の岩菜を摘んで行いたまいけるほどに、一人の梵士出で来りて御伽《おとぎ》仕《つかまつ》るべしとて仕え奉る。大王嶺の木の子を拾いに坐《ましま》したる間に、この梵士后を盗んで失せぬ。大王還って見たもうに后の坐《いま》せざりければ山深く尋ね入りたもう。道に大なる鳥あり、二つの羽折って既に死門に入る。大鳥大王に申さく、日来《ひごろ》附き奉りたりつる梵士后を盗み奉りて逃れ侍りつるを、大王還りたもうまでと思いて防ぎ侍りつれども、梵士竜王の姿を現じてこの羽を蹴折《けお》りたりといいてついに死門に入りぬ。大王哀れと思《おぼ》して高嶺《たかね》に掘り埋めて、梵士は竜王にてありけるという事を知って、南方に向って坐しましけるほどに、深山の中に無量百千万の猿集りて罵りける処へ坐しぬ。猿猴大王を見付けて悦んでいわく、我ら年来領する山を隣国より討ち取らんとするなり。明日|午《うま》の時に軍定むべし、大王を以て大将とすべしという。大王
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