へし折り、毛箒の柄の螺旋を捻じ入れ捻じ戻し、握手を交え、燭《しょく》に点火してその燃ゆるを守り、自分の頭に暖灰を撒《ま》く。けだしこの猴の脳裏に本来伏在せる睿智が人間に接して興起したので、他の諸家畜とても同様の例多し。元来猴は常に飼われず、故にその人に接近するは永続せず、他の諸畜より遥かに短し。しかるに上述のごとき諸例あるを見れば、猴類が頓智《とんち》に富みその境涯に迎合する力大なるを知るべし。しかしながら猴と人の智力に大懸隔あり、質においても量においても猴の智慧は人よりも甚だ諸家畜、就中《なかんずく》犬と象に近きを見ると。
 以上ペッチグリウが挙げた諸例は科学者が審判して事実と認めたもので、その多くはロメーンズの『動物の智慧』から採り居る。この他ウォータートンの博物論文、バクランドの『博物奇談』、ジャージンの『博物文庫』巻二七、カッセル出版『猴類博物学』と『猴史』等に猴の話多い中に虚誕も少なからぬようだ。
 東洋の書籍にも猴の珍談随分多いが、詰まらない嘘その半ば以上を占めるが、また西人が気付かぬ実事も少なからず載りたれば、十分|稽査《けいさ》に値いする。例せば『類聚名物考』に猴大根を食わしめてよし、またカヤの実を食すれば甚だ験《げん》あり、猴舞わしの家常に用ゆ、甚だ蟹の殻|并《なら》びに手の螫《はさみ》を嫌うなりとあるなど経験に拠ったのであろう。ボールの『印度藪榛生活』にインドの海辺で猴好んで蟹を採り食う由載せ、ビルマのシノモルグスは蟹を専食する猴だ。熊野の勝浦などで、以前は猴が磯に群集し蟹を採り食うに石でその殻を打ち破った。しばしば螫で鉗《はさ》まれ叫喚の声耳に喧《かまびす》しかったと古老から聞いた。しかるに予幼時|直《すぐ》隣りの家にお徳という牝猴あり。紙に蟹を包み与えると饅頭《まんじゅう》と思い戴《いただ》き、開き食わんとして蟹出づるに仰天し騒ぎ逃げ廻る事夥し。その後誰が紙包みの饅頭を遣わしても必ず耳に近づけ、蟹の足音せぬか聞き定めた後初めて開いた。『醒睡笑《せいすいしょう》』に、海辺の者山家に聟を持ち、蛸《たこ》と辛螺《にし》と蛤《はまぐり》を贈りしを、山賤《やまがつ》輩何物と知らず村僧に問うと、竜王の陽物、鬼の拳、手頃の礫じゃと教えたとある通り、件《くだん》の牝猴幼くて捕われ蟹を見た事なき故怖れたのだ。現に予の家に飼う牝鶏は、始め蚯蚓《みみず》を与うるも
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