を隠す、その体《てい》気まま育ちの小児に異ならなんだ。ロメーンズの記に、牝猩々が食後空缶を倒《さかさま》に頭に冠《かぶ》り観客が見て笑うを楽しみとした事あり。サヴェージ博士は黒猩時に遊楽のみのために群集し、棒で板を打って音を立つ事ありというた。猴どもが動物園内で軽業を面白|可笑《おか》しく楽しむは皆人の知るところで、機嫌好く遊ぶかと見ればたちまちムキになって相闘い、また毎度人間同様の悪戯をなす。アンドリウ・スミス男喜望峰で見たは、一士官しばしばある狗頭猴を悩ます、ある日曜日その士盛装して来るを見、土穴に水を注ぎ泥となし、俄《にわか》に投げ掛けてその服を汚し傍人を大笑せしめ、爾後その士を見るごとに大得色を現じた由。
猴は極めて奇物を好む。鏡底に自分の影映るを見て他の猴と心得、急にその裏を覗き見る。後、その真にあらざるを知り大いに誑《たぶら》かされしを怒る。また弁別力に富む。レンゲルいわく、一度刃物で怪我《けが》した猴は二度とこれに触《さわ》らず、あるいは仔細に注意してこれを執る。砂糖と蜂を一緒に包んだのを受けて蜂に螫《さ》されたら、その後かかる包みを開く前に必ず耳に近付けて蜂の有無を聞き分ける。一度ゆで卵を取り落して壊《こわ》した後は、卵を得るごとに堅い物で打ち欠き指もてその殻を剥《は》ぐ。また機巧あり、ベルトが睹《み》た尾長猴はいかにこんがらがった鎖をも手迅《てばや》く解き戻し、あるいは旨く鞦韆《ぶらんこ》を御して遠い物を手に取り、また己れを愛撫するに乗じてその持ち物を掏《す》った。キュヴィエーが飼った猩々は椅子を持ち歩いてその上に立ち、思うままに懸け金をはずした。レンゲルはある猴は梃《てこ》の[#「梃《てこ》の」は底本では「挺《てこ》の」]用を心得て長持《ながもち》の蓋《ふた》を棒でこじあけたというた。ヘーズン一猴を飼いしに、その籠《かご》の上に垂れた木の枝に上らんと望めど、籠の戸の上端に攀《よ》じ登って始めて達し得。しかるにこの戸を開けばたちまち自ずから閉ずる製《つくり》ゆえ何ともならず。その猴取って置きの智慧を揮《ふる》い、戸を開いてその上端に厚き毛氈を打ち掛け、戸の返り閉づるを拒《ふせ》ぎ、やすやすと目的を遂げたそうだ。シップは喜望峰狗頭猴、下より来る敵を石などを集め抛下《ほうか》して防ぐといい、ダムピエート・ウェーファーは猴が石で牡蠣《かき》を叩き開くを
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