を得居るからその大略を述べよう。すなわち猴類は人間に実用された事少しもなく、いまだかつて木を挽《ひ》き、水を汲むなど、その開進に必要なる何らの役目を務めず、ただ時々飼われて娯楽の具に備わるの一途あるのみ。それすら本性不実で悪戯《いたずら》を好み、しばしば人に咬《か》み付く故十分愛玩するに勝《た》えず。されどその心性人に類せる点多きは真に驚嘆すべし、ダーウィンは猴の情誼厚きを讃《ほ》め、あるアメリカの猴がその子を苦しむる蠅を払うに苦辛し、手長猿が水流中に子の顔を洗うを例示し、北アフリカの某々種の猴どもの牝はその子を喪うごとに必ず憂死し、猴の孤児は他の牝牡の猴必ずこれを養い取って愛撫すといった。ジョンソン説に、手長猿は同類甚だ相愛すれど一たび死ねば構わぬに反し、氏が銃殺した猩々の屍を他の猩々どもが運び去ったと。ある人『ネーチュル』雑誌へ出せしは、その園中に放ち飼える手長猿の一牡児、木から堕ちて腕節外れると、他の猿一同厚く世話焼く、特に篤志だったはその児に何の縁なき一老牝で、毎日くれた甘蕉実《バナナ》を自ら食わずにまず病猿に薦めた。一つの猿が怖れ、痛み、もしくは憂いて号《さけ》ぶ時は一同走り往きてこれを抱え慰めたと。キャプテーン・クローかつて航海せし船に種も大きさも異なる数猴を積む、中に一種小さくて温良に、人に愛さるるも附け上がらず好《よ》く嬉戯するものありて、衆猴これを一家の秘蔵子のごとく愛したが、一朝この小猴病み付いてより衆猴以前に倍してこれを愛し、競うてこれを慰むるに力《つと》め、各|旨《うま》い物を竊《ぬす》んで少しも自ら味わわず病猴に与え、また徐《しず》かにこれを抱いて自分らの胸に擁《かか》え、母が子に対するごとく叫んだが、小猴は病悩に耐えず、悲しんで予の顔を眺め、予に援苦を求むるふりして嬰児のように鳴いた。かくて人も猴も出来る限り介抱に手を尽したが養生相叶わず、久しからぬ内に小猴は死んだという。またサー・ゼームス・マルクムも東インド産の二猴を伴れて航海中、一猴過って海に陥るを救わんとて他の一猴その身に絡《からも》うた縄を投げたが短くて及ばず、水夫が長い縄を投げると今落ちた猴たちまちこれを執え引き揚げられた。ジョンソン大尉インドバハール地方で猴群に愕《おどろ》かされてその馬騒ぎ逸《のが》れし時、鉄砲を持ち出して短距離から一猴を射《う》ち中《あ》てしに、即時予に飛
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