って巨眼だが、昼間眠る態が粋のまた粋たる猿子眠りだ。さて吾輩在外の頃は、いずれの動物園でも熱地産の猴や鸚哥《いんこ》を不断人工で熱した室に飼ったが、近時はこれを廃止し食物等に注意さえすれば、温帯寒暑の変りに馴染《なじ》み、至って健康に暮すという。何事も余り世話焼き致さぬがよいらしい。
[#「第4図 ロリス」のキャプション付きの図(fig2539_04.png)入る]
 上引、李時珍猴の記載に尻に毛なしとあるが、毛がないばかりでなく、尻の皮硬化して樹岩に坐するに便あり。発春期には陰部とともに脹れ色増す。古ギリシア外色盛行の世には、裸体少年が相撲場の砂上に残した後部の蹟を注意して必ず滅さしめ、わが邦にも「若衆の尻月を見て離れ得ぬ、念者《ねんじゃ》や桂男《かつらおとこ》なるらん」など名吟多し(『後撰夷曲集』)。しかるに猴は尻の色が牝牡相恋の一大助たるのだ。本邦の猴は尻の原皮で栗を剥《は》ぐとて栗むきと呼び、何の義か知らねど紀州でギンガリコと称す。西半球の猴は一同この原皮を欠き、アフリカのマイモン猴は顔と尻が鮮《あざ》やかな朱碧二色で彩《いろど》られ獣中最美という。
 そもそも本篇は発端に断わった通り、読み切りのつもりだったが、人はその乏しきを憾《うら》み、われはその多きに苦しむ。積年集めた猴話の材料牛に汗すべく、いずれあやめと引き煩いながら書き続くる内、概言の第一章のみでも、かように長くなったから、第二章以下は改めて続出とし、ここに元本章の尻纏《しりまと》めに猴の尻の珍談を申し上げよう。
 アリストテレスが夙《はや》く猴を有尾、無尾、狗頭の三類に分ったは当時に取っての大出来で、無尾は猩々、猿猴等、日本の猴等は有尾、さて狗頭猴はアラビアとアフリカに限り生ずる猛性の猴だが、智慧すこぶる深く、古エジプトで神と崇められた。人真似は猴の通性で、『雑譬喩経』に猴が僧の坐禅の真似して樹から落ちて死んだ咄《はなし》あり。上杉景勝平素笑わなんだが猴が大名の擬《まね》して烏帽子《えぼし》を戴《いただ》くを見て吹き出したといい、加藤清正は猴が『論語』を註するつもりで塗汚すを見、汝も聖賢を慕うかと笑うた由。パーキンスの『アビシニア住記』一にアラブ人酒で酔わせて狗頭猴を捕える由言い、氏一日読書する側にこの猴坐して蠅《はえ》を捉え、またその肩に上りて入墨《いれずみ》した紋を拾わんと力《つと》めおり、
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