努力して樹梢に昇り、また懲りずまに飛び始めざるを得ず。ただし居続けも勉強すると随分長くやれる。コルゴ先生も今はなかなか上手に飛び、数百ヤードの距離を飛ぶにその距離五分の一だけ下るとは飛んだ飛び上手だ。この獣以前は猴の劣等な狐猴の一属とされたが、追々研究して蝙蝠に縁近いとか、ムグラモチなどと等しく食虫獣だとか議論定まらず。特にコルゴのために皮膜獣なる一類を建てた学者もある。惟うに右述ぶごとくほとんど横に平らに飛び下るから支那で平猴と名づけたので、『十洲記』に南海中の炎洲に産すというも、インド洋中の熱地ジャワ、ボルネオ、スマトラを指したものであろう。現にこれら諸島とマレー半島、シャム、ビルマ、インドに一種を出すがそれに四、五の変種あり。それより耳短く、頭小さく、上前歯大なる一種はルソンに産す。その毛オリヴ色で白き斑《ふ》あり猫ほど大きく、尋常の方法では殺し切れぬくらい死にがたい(一八八三年ワリスの『巫来《マレー》群島記』一三五頁)のが、平猴の〈大きさ狸(野猫)のごとし、その色青黄にして黒、その文豹のごとし、これを撃っては倏然《しゅくぜん》として死す。口を以て風に向かえば、須臾《しゅゆ》にしてまた活く〉(『本草綱目』五一)てふ記載に合い、昼|臥《ふ》し夜飛び廻る上に、至って死にがたい誠に怪しいもの故種々の虚談も支那書に載せられたのだ。さて仙人能く飛ぶに合せてその脳を食えば長生すとか、その杖を得れば欲するところ意のごとしとかいい出し、支那人は中風大風(癩病)等を風より起ると見たから、風狸の一名あるこの獣の尿は諸風を治すと信じたのだ。昨今支那にコルゴを産すと聞かぬが、前述の仰鼻猴や、韓愈の文で名高い※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《わに》など、ありそうもない物が新しく支那で見出されて学者を驚倒させた例多く、支那の生物はまだとくと調査が済まない。したがって予は南支那に一種のコルゴが現存するか、昔棲んだかの証拠がそのうち必ず揚がると確信する。さて話はこれから段々いよいよ面白くなるんだからして、聞きねえ。[#地から2字上げ](大正九年一月、『太陽』二六ノ一)

       2

『仏本行集経』三三に、仏、成道《じょうどう》して最初に説法すべき人を念じ、優陀摩子《うだまし》然《しか》るべしと惟《おも》うに、一天神来りて彼は七日前に死んだと告ぐ。世尊内
前へ 次へ
全80ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング