またよくこの獣を形容したラクーン・ドグなる英語があるに今もバッジャー(※[#「けものへん+灌のつくり」、40−6]《まみ》、アナクマに当る)てふ誤訳を踏襲するに斉しく、今となっては如何《いかん》ともするなし。猿英語でギッボン、また支那音そのまま取ってユエン。黒猩、ゴリラ、猩々に次いで人に近い猴で歯の形成はこの三者よりも一番人に近い。手が非常に長いから手長猿といい、また猿猴の字音で呼ばる。その種一ならず、東南アジアと近島に産す。手を交互左右に伸ばして樹枝を捉え進み移る状《さま》、ちょうど一の臂《ひじ》が縮んで他の臂が伸びる方へ通うと見えるから、猿は臂を通わすてふ旧説あり、一|臂《ぴ》長く一臂短い画が多い。『膝栗毛』に「拾うたと思ひし銭は猿が餅、右から左《ひだり》の酒に取られた」この狂歌は通臂の意を詠んだのだ。
『本草綱目』に、〈猿初生皆黒し、而して雌は老に至って毛色転じて黄と為《な》る、その勢を潰し去れば、すなわち雄を転じて雌と為る、ついに黒者と交わりて孕む〉。これは瓊州《けいしゅう》猿の雌を飼いしに成熟期に及び黒から灰茶色に変わった(『大英百科全書』十一)というから推すと、最初雌雄ともに黒いが後に雌が変色するより変成女子と信じたり、『列子』、〈※[#「豸+兪」、41−1]《ゆ》変じて※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]と為る〉、『荘子』、〈※[#「けものへん+嬪のつくり」、第4水準2−80−54]狙《ひんそ》※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]を以て雌と為る〉と雌雄を異種に見立てたのだ。猿は臂長く膂力《りょりょく》に富み樹枝を揺《ゆす》って強く弾《はじ》かせ飛び廻る。学者これを鳥中の燕に比したほど軽捷《けいしょう》で、『呂覧』に養由基《ようゆうき》矢を放たざるに、※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]、樹を擁して号《さけ》び、『呉越春秋』に越処女が杖を挙げて白※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]に打ち中《あ》てたなどあるは、その妙技なみ大抵の事でない絶好の叙述と知れ、予も親しく聴いたが、猿が飛ぶ時ホーホーと叫ぶ声は大したもので耳が病み出す。寂しい処で通宵《つうしょう》これを聴く趣はとてもわが邦の猴鳴の及ぶところでなく、〈峡中猿鳴く至って清し、諸山谷その響きを伝え、冷々として絶えず、行者これを歌いて曰く、巴東三峡猿
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