猴はアルメニアまたバクトリアからの進貢するところとある。いずれも寒国でとてもこんな物を産出しないから、これはインドより輸入した象や猴を更にアッシリアへ進献したのだ。ギリシアで最初猴を一国民と見做《みな》し、わが国でも下人《げにん》を某丸と呼ぶ例で猴を猴丸と呼んだ。その通りアッシリア人も猴を外国の蛮民と心得たらしく、件《くだん》の碑に彫った猴は手足人に同じく頬に髯《ひげ》あり、したがってアッシリア人は猴をウズムと名づけた。これはヘブリウ語のアダム(すなわち男)の根本らしい。今もインドで崇拝さるるハヌマン猴とて相好もっとも優美な奴がこの彫像に恰当《こうとう》する由(ハウトン著『古博物学概覧』一九頁已下)。猴のアラブ名キルド、またマイムンまたサダン、ヒンズ名はバンドル、セイロン名はカキ、マレイ名はモニエット、ジャワ名ブデス、英語で十六世紀までは猴類をすべてエープといったが、今は主として尾なく人に近い猴どもの名となり、その他の諸猴を一と括《くく》りにモンキーという。モンキーは仏語のモンヌ、伊語のモンナなどに小という意を表わすキーを添えたものだそうな。さてモンヌもモンナもアラブ名マイムンに出づという。ソクラテスの顔はサチルス(羊頭鬼)に酷似したと伝うるが、孔子もそれと互角な不男《ぶおとこ》だったらしく、『荀子《じゅんし》』に〈仲尼《ちゅうじ》の状面|※[#「にんべん+其」、24−11]《き》を蒙《かぶ》るがごとし〉、※[#「にんべん+其」、24−12]は悪魔払いに蒙る仮面というのが古来の解釈だが、旧知の一英人が、『本草綱目』に蒙頌《もうしょう》一名|蒙貴《もうき》は尾長猿の小さくて紫黒色のもの、交趾《こうし》で畜うて鼠を捕えしむるに猫に勝《まさ》るとあるを見て蒙※[#「にんべん+其」、24−14]《もうき》は蒙貴で英語のモンキーだ。孔子の面が猴のようだったのじゃと吹き澄ましいたが、十六世紀に初めて出たモンキーなる英語を西暦紀元前二五五年蘭陵の令と為《な》ったてふ荀子が知るはずなし、得てしてこんな法螺《ほら》が大流行の世と警告し置く。
 猴の今一つの英名エープは、梵名カピから出たギリシア名ケフォス、ラテン名ケブス等のケをエと訛《なま》って生じたとも、また古英語で猴をアパ、これ蘭名アープ、古ドイツ名アフォ等と斉《ひと》しく猴の鳴き声より出たともいう。さて猴はよく真似《まね》をする
前へ 次へ
全80ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング