鴒の意味分らず、あるいは馬神と水神との相互関係を推測せしむる料にあらずやといわれたが、川柳に「鶺鴒も一度教へて呆れ果て」、どど一《いつ》にも「神に教えた鶺鴒よりもおしの番《つが》いが羨まし」ナント詠んだごとく、この鳥特異の動作を示して二尊に高尚なる学課を授け参らせたに因って、「逢ふ事を、稲負《いなおわ》せ鳥の教へずば、人を恋に惑はましやは」それを聞き伝えたものか、嬌女神ヴィナスの異態てふアマトンテの半男女神はこの鳥を使者とし、その信徒に媚薬として珍重された。今村鞆君|元山府尹《げんざんふいん》たり、近く『増補朝鮮風俗集』を恵贈さる。内に言えるは鮮人の思想貧弱にして恋愛文学なく、その男女の事を叙するや「これと通ず」「これを御す」と卑野露骨にして憚《はばか》らずと。それについての鄙見《ひけん》は他日に譲り差し当り述ぶるは、『淮南子《えなんじ》』に〈景陽酒に淫し、髪を被りて婦人を御し、諸侯を威服す〉。その他古文に〈婦女を御す〉というが多い。これは鹿爪《しかつめ》らしい六芸の礼楽|射御《しゃぎょ》の御とは別にしてしかも同源の語で、腰を動かすてふ本義だ。所詮《しょせん》鶺鴒の絶えず尾を振るごとくせば、御馬の術も上達すてふ徴象で、さてこそ馬の災を除く猴とこの鳥を踏んで、馬櫪神よく馬を養いよく馬を御すと示したのだ。何と畏《おそ》れ入ったろう。また按ずるにホワイトの『セルボルン博物志』に牛が沢中に草食う際、鶺鴒その身辺を飛び廻り、鼻に接し腹下を潜《くぐ》って牛に著いた蠅を食う。天の経済に長ぜるかかる縁遠き二物をして各々自利利他せしむと書いて、利はよく他人同士を和せしむというたは、義は利の和なりてふ支那の文句にも合えば、ちと危険思想らしいがクロポトキンの『互助論』にもありそうな。惟《おも》うに鶺鴒は支那で馬の害虫を除く功あるのでなかろうか。張華の『博物志』三に〈蜀山の南高山上に物あり、※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]猴のごとく長《たけ》七尺、能く人行健走す、名づけて猴※[#「けものへん+矍」、127−10]《こうかく》という、一名馬化、同じく道を行く婦人に、好き者あればすなわちこれを盗みて以て去る〉、『奥羽観跡聞老志』四に、駒岳の神は、昔馬首獣の者生まれ、父母怖れて棄つると猴が葛《くず》の葉を食わせて育てた、死後この神と成ったと出《い》づ。『マハバーラタ』にはハリー
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