嘉儀の物とするに雑多の理由あるべきも邪視を避くるのがその随一だろう。ここには猴に関してのみ略説しよう。その詳説は『東京人類学雑誌』二七八号拙文「出口君の小児と魔除を読む」を見られよ。
『書紀』天孫降下の条に先駆者還りて曰く、〈一の神有りて、天八達之衢《あまのやちまた》に居り、その鼻長さ七咫《ななあた》脊の長さ七尺《ななさか》云々、また口尻《くちわき》明り耀《て》れり、眼は八咫鏡《やたのかがみ》の如くして、※[#「赤+色」、124−3]然《てりかかやけること》赤酸醤《あかかがち》に似《の》れり、すなわち従《みとも》の神を遣して往きて問わしむ、時に八十万《やそよろず》の神あり、皆|目《ま》勝ちて相問うことを得ず、天鈿女《あまのうずめ》すなわちその胸乳《むなぢ》を露《あらわ》にかきいでて、裳帯《もひも》を臍の下に抑《おした》れて、咲※[#「口+據のつくり」、第3水準1−15−24]《あざわら》いて向きて立つ〉、その名を問うて猿田彦大神なるを知り、〈鈿女|復《また》問いて曰く、汝《いまし》や将《はた》我に先だちて行かむ、将《はた》我や汝に先だちて行かむ、対《こた》えて曰く吾先だちて啓《みちひら》き行かむ云々、因りて曰く我を発顕《あらわ》しつるは汝なり、故《かれ》汝我を送りて到りませ、と〉とて、伊勢の狭長田《さなだ》五十鈴川上に送られ行くとあるは、猿田彦の邪視八十万神の眼の堪え能わざるところなりしを、天鈿女醜を露《あらわ》したので猿田彦そこを見詰めて、眼毒が弱り和らぎ、鈿女打ち勝ちて彼をして皇孫の一行を避けて遠地に自竄《じざん》せしめたのだ。インドでハヌマン猴神よく邪視を防ぐとて祭る事も、青面金剛崇拝は幾分ハヌマン崇拝より出た事も既に述べた。それが本邦に渡来してあたかも邪視もっとも強力なりし猿田彦崇拝と合して昨今の庚申崇拝が出来たので、毒よく毒を制する理窟から、以前より道祖神と祀られて邪視防禦に効あった猿田彦が、庚申と完成された上は一層強力の眼毒もて悪人凶魅どもの眼毒を打ち破るのだ。庚申堂に捧ぐる三角の袋|括《くく》り猿など、パンジャブ辺でも邪視を防ぐの具で、一つは庚申の避邪力を増さんため、一つは参詣者へ庚申の眼毒が強く中《あた》らぬべき備えと知らる。またインドや欧州その他に人畜が陰陽の相を露せる像を立て、邪鬼凶人の邪視を防ぐ例すこぶる多く、本邦にも少なからず、就中《なかんず
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