に割って全肉を見れば実に鳥の形あり、唐山にもこの説あり、しかれども実に化するや否やを知らず」と出《い》づ。『紀伊続風土記』九七には「立介タチカイ一名鳥介、同名多し、玉※[#「王+兆」、第4水準2−80−73](タイラギ)に似て幅狭く長さ七、八寸、冬より春に至りて食用とす、夏月肉ようやく化して鳥となる。形磯ひよどりに似て頭白く尾なし、鳴く声ヒヨヒヨというごとし、牟婁郡曾根荘賀田浦に多し」と見ゆ。介が鳥になるてふ話は欧州や支那にもありて(マクス・ミュラーの『言語学講義』一八八二年板、二巻五八六頁、王士※[#「示+眞」、第4水準2−82−74]の『香祖筆記』十。〈西施舌海燕の化すところ、久しくしてすなわちまた化して燕と為る〉)、その肉が鳥の形に似るに起る。件《くだん》の老婦が持ち来ったタチガイを見るに二種あり。いずれもピンナ属のもので、ピンナはラテン語、単数で羽、複数の時は翼の義、形が似たので名づく。いずれも海底に直立し、口の下端に近く毛あって石に付くを外国で織って手袋などにする。第十図甲は殻が末広く細条縦横して小刺多し。これを専らタチガイと称し方言ヒランボと呼ぶ。乙は末広ながら甲に比して狭く、その線条|粗《あら》き上ひびわれ多く刺はなし、その肉煙草の味あり、喫烟家|嗜《この》み啖《くら》う。方言これをショボシと称う。『和漢三才図会』四六に、玉※[#「王+兆」、第4水準2−80−73]俗いうタイラギ、またいう烏帽子《えぼし》貝と出づるを見れば、真のタイラギより小さい故小帽子の意でショボシの名あるか。余の所見を以てすれば、『紀伊続風土記』にいえるごとく、タチガイは二種ともタイラギと別物で殻の色黒からず淡黝黄だが、いずれも形はよく似居る。新庄でいうヒランボすなわち真のタチガイが『古事記』に見えた猿田彦を挟んで溺死せしめた介で、ヒランボはその文にいわゆるヒラブ貝なる名の今に残れるものたるや疑いを容れず。宣長がヒラブ貝はもしくはタイラギかと推せしは中《あた》りおり、なお国々の人に尋ねたら今も古名の残った所もあるべしというたが、果して紀州西牟婁郡新庄村に残り居るのだ。猴の話と縁が遠いが、『古事記』は世界に多からぬ古典で、その一句一語も明らめずに過すは日本人の面目を汚す理窟故、猿田彦に因んでヒラブ貝の何物たるを弁じ置く。さて猿田彦が指を介に挟まれ苦しむうち潮さし来り、溺れて底に沈みし
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