たのだろうと。註にいわく、ジブラルタルでも猴の屍を見た事なしというと。虎は死して皮を留むとか、今井兼平《いまいかねひら》などは死に様を見せて高名したが、『愚管抄』に重成は後に死にたる処を人に知られずと誉《ほ》めけりとある。多田満仲《ただのみつなか》の弟、満政の後で美濃の青墓で義朝と名のり、面皮を剥いで死んだ源重成を指《さ》すか。『大和本草』には猫は死ぬ時極めて醜い由で、隠れて人には見せぬとあるが余は幾度も見た。ある知人いわく、猫の屍は毎々《つねづね》見るが純種の日本犬の死体は人に見せぬと。
 前出ハヌマン猴王の素性について異説あり、羅摩の父ダサラダ子なきを憂い神に牲すると、牲火より神現じ天食を王に授く。その教えに任せて王これを三妃に頒つにその一人分を鷲《わし》が掴《つか》んで同じく子を求めて苦行中のアンジャニ女の手に落し入る。それを食うてたちまち孕み生んだその子がハヌマンだったという。ハヌマン猴王は死せず、その身金剛にして膂力《りょりょく》人に絶す。羅摩の楞伽《りょうが》攻めに鳥語を解いたり、海を跳び越えたり、猫に化けたり、山を抜き持って飛んだり、神変出没限りなく、ついに私陀を取り還すその功莫大なり。一度『ラーマーヤナ』を通読すると支那の『西遊記』の孫悟空はどうもハヌマン伝から転出したよう思われる。羅摩、軍《いくさ》に勝ちて楞伽を鬼王の弟に与え、ハヌマンをしてその島を守護せしめた。ハヌマンは娶《めと》らず、強勢慈仁の神にして人に諸福を与う。また諸鬼、妖魅、悪精、巫蠱《ふこ》を司《つかさど》る。悪鬼に付かれし者これに祷《いの》れば退く。流行病烈しき時もこれに祷る。鬼に付かれ熱を病む者、その像や祠《ほこら》を望んだばかりで癒え鬼叫ぶという。インド人は星の廻り合せで一年より七年半の間厄に当る。その時、凶女神パノチ、金、銀、銅、鉄の足で人体に入る。頭に入れば失神し、心臓に入れば貧乏になり、足に入れば身病む。昔十頭鬼王の従弟アヒとマヒ、魔法を以て羅摩兄弟を執《とら》え、パノチに牲せんとした時、ハヌマンその祠に乱入してパノチを踏み潰《つぶ》し二人を救うた縁により、右様の厄年の人は断食してハヌマンに祷れば無難だ。俗伝にこの猴王十二年に一度呼ばわる、それを聞いた者は閹人《えんじん》となるという。予はとかく女難に苦しむから思い切って聞かせてもらおうかしら。猴王像に注いだ油をナマンと呼
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