邪鬼《じゃく》だというと、これは足の構造に基づくはもちろんながら、山羊、綿羊共に決して一汎《いっぱん》にいわるるほど柔順でなく卞彬《べんぴん》は羊性淫にして很《もと》るといった。很は〈従い聴かざるなり、また難を行うなり〉とある、それを一疋ずつ扱わで一群として扱う事の易《やす》きは誠に楊朱の言のごとし。予欧州にあった日、大高名の学者と伴《つ》れて停車場へ急ぐ途中種々の事を問い試むるにその返答は実に詰まらぬものばかりだった。われも人も肩を軋《きし》って後れじと専念する際にはいかな碩儒《せきじゅ》も自分特有の勘弁も何も出ないのだ。されば人間も羊同然箇人としてよりは群集としての方が扱いやすいかも知れぬ。
『孔子|家語《けご》』や『説苑』に季桓子《きかんし》井を穿《うが》ちて土缶《つちつぼ》を得、中に羊あり、土中から狗《いぬ》を得たといって孔子に問うと、孔子はさすが博識で、われ聞くところでは狗ではなくて羊だろう、木の怪は※[#「(止+(首/儿)+巳)/夂」、第4水準2−5−28]罔両《きもうりょう》、水の怪は龍罔象、土の怪は※[#「羚」の「令」に代えて「賁」、16−5]羊《ふんよう》というからきっと羊で狗であるまいと対《こた》えたから桓子感服したとある。『韓詩外伝』には魯哀公井を穿たしむるに一生羊を得、公祝をしてこれを鼓舞して上天せしめんとしたが羊上天し能わず、孔子見て曰く水の精は玉、土の精は羊となる、この羊の肝は土だと、公それを殺して肝を視《み》れば土であったと出づというが、予の蔵本には見えぬ。虚譚のようだが全く所拠《よりどころ》なきにあらず、『旧唐書《くとうじょ》』に払菻国《ふつりんこく》に羊羔《ひつじのこ》ありて土中に生ず、その国人その萌芽《ほうが》を伺い垣を環《めぐ》らして外獣に食われぬ防ぎとす。しかるにその臍地に連なりこれを割《さ》けば死す、ただ人馬を走らせこれを駭《おどろ》かせば羔驚き鳴きて臍地と絶ちて水草を追い、一、二百疋の群を成すと出づ。これは支那で羔子《カオツェ》と俗称し、韃靼《だったん》の植物羔《ヴェジテーブル・ラム》とて昔欧州で珍重された奇薬で、地中に羊児自然と生じおり、狼好んでこれを食うに傷つけば血を出すなど言った。『古今要覧稿』に引いた『西使記』に、〈※[#「土へん+龍」、第3水準1−15−69]《ろう》種の羊西海に出《い》づ、羊の臍を以て土中に種《う》え、漑《そそ》ぐに水を以てす、雷を聞きて臍系生ず、系地と連なる、長ずるに及び驚かすに木声を以てすれば、臍すなわち断ち、すなわち能く行き草を噛む、秋に至り食すべし、臍内また種あり〉というに至りては、真にお臍で茶を沸かす底の法螺談《ほらばなし》で、『淵穎集』に西域で羊の脛骨を土に種《う》えると雷鳴に驚いて羊子が骨中より出るところを、馬を走らせ驚かせば臍緒を断ちて一疋前の羊になるとあるはますます出でていよいよ可笑《おか》し。
 十八世紀の仏国植物学大家ジュシューいわく、いわゆる植物羔《ヴェジテーブル・ラム》とは羊歯《しだ》の一種でリンナースが学名をポジウム・バロメツと附けた。その幹一尺ほど長く横たわるを四、五の根あって地上へ支《ささ》え揚ぐる。その全面長く金色《きんいろ》な綿毛を被った形、とんとシジアの羔《こひつじ》に異ならぬ。それに附会して種々の奇譚が作られたのだと(『自然科学字彙《ジクチョネール・デ・シャンス・ナチュレル》』四巻八五頁)。予昔欧州へ韃靼から渡した植物羔を見しに、巧く人工を加えていかにも羊児ごとく仕上げあった。孔子が見たてふ※[#「羚」の「令」に代えて「賁」、17−9]羊談もかようの物に基づいただろう。また『輟耕録《てっこうろく》』に漠北で羊の角を種えて能く兎の大きさの羊を生ず、食うに肥美《うま》しとある(『類函』四二六)。一六三八年アムステルダム板リンショテンの『航海記』一一二頁に、ゴア市の郊外マテヴァクワスなる土堤《どて》へ羊や牛の角を多く棄つる。これはインド人もとよりかかる物を嫌うが上に、スペインやポルトガルよりの来住人は、不貞の淫婦の夫を角生えたと罵《ののし》り、近松の浄瑠璃に夫が不在中、妻が間男《まおとこ》拵《こしら》えたを知らずに、帰国早々知り合いより口上なしに苧麻《おあさ》を贈りて、門前へ積み上げたごとく、角を門前へ置かれたり、角や角の形を示さるるを妻が姦通しいる標示とする故、太《いた》く角を嫌うからだ。さてこの土堤に捨てられた角は、日数経て一|掌《パーム》、もしくはそれ已上《いじょう》長き根を石だらけの荒地に下す事、草木に異《かわ》らず、他に例もなければ訳も別らず。千早振《ちはやぶ》る神代も聞かぬ珍事なるを予しばしば目撃した。だからゴアの名物は間男持ちの女で角を切ってもまた根ざすと苦笑いながらの評判だとある。わが邦で嫉妬を角というと多
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