って来り、車を駐《と》めて彼を穀賊と呼び、汝はどうしてここに在るかと問うと、われは人の穀を食うたからここへ置かれたと答え、久しく話して黄色連は別れ去った。主人穀賊に彼は誰ぞと問うと、彼こそ金宝の精で、この西三百余歩に大樹あり、その下に石の甕《かめ》を埋め、黄金中に満ち居る、その精だといった。主人数十人を将《ひき》い、往き掘りてその金を得、引き返して穀賊の前へ叩頭《こうとう》し、何とか報恩供養したいから拙宅へ二度入りをと白《もう》すと、穀賊、さてこそと言わぬばかりに答うらく、前に君の穀を食いながら姓字を語らなんだは、君にこの金を得せしめて報いたかったからだ。今既に事済んだ上は転じて福を天下に行うべし、住《とど》まる事|罷《まか》りならずと言い終って忽然見えずなったとある。『阿育王譬喩経』には大長者が窖《あな》に穀千斛を蔵し、後これを出すに穀はなくて三歳ばかりの一小児あり、言語せぬ故何やら分らず。大道辺に置いて行人に尋ぬれど識《し》る者なし。しかるところ、黄色の衣を着、黄牛に車を牽かせて乗り、従者ことごとく黄色な人が通り掛かり、小児を見るとすなわち穀賊何故ここに坐し居るかと問うた。この小児は五穀の神で、長者に向い、今往ったのは金の神だ、彼が往った方へ二百歩往かば朽木の下に十斛の金を盛った甕がある、それを掘り取ってわが君の穀を食った分を棒引きに願うと、教えの任《まま》にその所を掘って大金を獲、大いに富んだとして居る。
五穀の神といえば欧州にも穀精てふ俗信今も多少残存する。ドイツのマンハールト夥しく材料を集めて研究した所に拠れば、穀物の命は穀物と別に存し、時として或る動物、時として男、もしくは女、また小児の形を現わすというのが穀精の信念だ。穀精が形を現わす動物は、牛、馬、犬、猫、豕、兎、鹿、綿羊、山羊、狐、鼠、鶏、天鵞その他なおあるべし。支那、日本の玄猪神、稲荷《いなり》神いずれも穀精にほかならぬ。フレザー曰く、何故穀精がかく様々の動物の形を現ずると信ぜらるるかとの問いに対《こた》えん、田畑に動物が来るを見て、原始人は穀草と動物の間に神秘な関係ありと察すべく、上世今のごとく田畑を取り囲わなんだ時には、諸般の動物自在にこれに入り行《ある》き得た。故にその頃は牛馬ごとき大きな物も、遠慮なく田畑に入り行《ある》いたから、穀精牛馬形を現わすとさえ信ずる処あり、禾《か》を苅る時、兎
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