と勝《すぐ》れた軍功を建つるもあり。それに昔は人|毎《つね》に必ず畜生に勝《まさ》るてふ法権上の理解もなかった(ラカッサニュの『動物罪過論《ド・ラ・クリミナリテー・シェー・レー・ザニモー》』三五頁)。したがって人間勝りの殊勲ある馬を人以上に好遇し、甚だしきは敵味方ともこれを神と視《み》て、恐れ崇めたのだ。
 馬に人勝りの特性ある事は後文に述べるとして、ここには少々馬を凡人以上に尊重した例を挙げんに、宋の姚興その馬を青獅子と名づけ、時に同飲してわれ汝と同力報国せんと語る。後《のち》金兵来寇するに及び、所部四百騎もて十余戦せるも、大将王権はまず遁《のが》れ、武将|戴皐《たいこう》は来り援《すく》わず、興ついに馬とともに討死《うちじに》せるを朝廷憫んで廟を建てた。それへ絶句を題する者あり、いわく、〈赤心国に許すは平時よりす、敵を見て躯を捐《す》ててさらに疑わず、権は忌み皐は庸にして皆遁走し、同時に難に死すは只青獅のみ〉と。いかにも感慨無量で折角飲んだ酒も醒《さ》めて来るが、暫くするとまた飲みたくなりゃこそ酒屋が渡世が出来る理窟故ますます感心する。晋の司馬休、敵に殺さるべきを一向気付かず、その
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