助《おだうまのすけ》人の賄《まいない》を再三取った時信長が「銭ぐつわはめられたるか右馬助、人畜生とこれを云《い》ふらむ」と詠み送った。銭勒《ぜにぐつわ》の利かぬような者は難いかな今の世に免れん事をと歎息し、智馬をして空しく無識の販馬商《うまうり》の鞍下に羸死《つかれし》せしめぬよう冀望《きぼう》を述べてこの章を終結する。
名称
馬、梵名アス、ヌアスワ、またヒヤ、ペルシア名アスプ、スウェーデンでハスト、露国でロシャド、ポーランドでコン、トルコでスック、ヘブリウでスス、アラブでヒサーン、スペインでカバヨ、イタリアとポルトガルでカヴァヨ、ビルマでソン、インドでゴラ(ヒンズ語)、グラム(テルグ語)、クドリ(タミル語)、オランダでパールト、ウェールスでセフル、かく種々の名は定めて種々の訳で付けられ、中には馬の鳴き声、足音を擬《まね》て名としたのもあるべきがちょっと分らぬ。支那で馬と書くは象形字と知れ切って居るが、その音は嘶声を擬《まね》たものと解くほかなかろう。『下学集』に胡馬《うま》の二字でウマなるを、日本で馬一字を胡馬《うま》というは無理に似たり、〈馬多く北胡に出《い》づ、故に胡馬というなり〉と説いたが、物茂卿が、梅《めい》をウメ馬《ま》をウマというは皆音なりというた方が至当で、ウは発音の便宜上加えられたんだろ。
故マクス・ミュラー説に、鸚鵡《おうむ》すら見るに随って雄鶏また雌鶏の声を擬し、自ら見るところの何物たるを人に報《しら》す。それと等しく蛮民は妙に動物の鳴音を擬《まね》る故、馬の嘶声を擬れば馬を名ざすに事足りたはずだが、それはほんの物真似で言語というに足らぬ。われわれアリヤ種の言語はそんな下等なものでなく、馬を名ざすにもその声を擬《まね》ず。アリヤ種の祖先が馬を名ざすに、そのもっとも著しい性質としてその足の疾き事を採用した。梵語アース(迅速)、ギリシア語のアコケー(尖頂《けんさき》)、ラテンのアクス(鍼《はり》)、アケル(迅速また鋭利また明察)、英語アキュート(鋭利)等から煎《せん》じ詰めて、これら諸語種の根源だったアリヤ語に鋭利また迅速を意味するアスてふ詞《ことば》あったと知る。そのアスがアスヴァ(走るものの義)、すなわち馬の梵名、リチュアニア語のアスズウア(牝馬)、ラテンのエクヴス、ギリシアのヒッコス、古サクソンのエツ(いずれも馬)等を生じた
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