るところの物、これを用いて念呪すなわち風雨を致す〉と載せた赭丹も、蒙古名シャダーの音訳だ。『兎園小説』に、死んだ馬が侠客の夢に現われてその屍の埋葬を頼み、礼として骸中の玉を与えた由、馬琴が筆しある。何に致せ天下分け目の大戦さえ鮓答で決せらると信ぜられ、一二〇二年ナイマン部等の大聯合軍が成吉思《ジンギス》およびアウン汗と戦う時、アウン汗の子、霧雪を興してこれを破ったもこの石子の神効に由るというほど故、これを手に入れんとて一切の所有物を棄てても十分引き合うべく、非常に高価な物だったらしい。鮓答また薬として近古まで高価だったは、タヴェルニエーの『印度紀行』巻二で判る。また畜類の糞は古来種々に用達《ようだ》てられた。十九世紀に最《いと》早くラッサに入りて高名したウクの説に、蒙古人好く畜の糞を類別して適宜応用を誤らず、羊糞を焼かば高熱を生ずる故|冶金《やきん》に用い、牛糞の火は熱急ならぬ故肉を炙《あぶ》るに使うと、前述驢様の長耳を持ったフリギア王ミダスは貪慾で自分の糞を金に変えたと伝えられ、ローマ帝ヴェスパシャヌスは公事に鉅万《きょまん》を費やすを惜しまなんだが、内帑《ないど》を殖やすに熱心してその馬の糞を売り、太子チッスの諫《いさ》めに逢って馬糞売って得た金は悪《あ》しく臭うか嗅《か》いで見よと言った。かく畜《けだもの》の糞から高値な鮓答を得もすれば、糞それ自身が随分金と替えられ得たから、それを大層に訛称《かしょう》して金を糞に出す驢牛等の譚も出来たのだ。アストレイの『西蔵《チベット》記』に、大|喇嘛《ラマ》の糞尿を信徒に世話しやりて多く利を得る喇嘛僧の事を載す、蒙古人その糞の粉を小袋に入れ頸に掛け、その尿《いばり》を食物に滴《おと》して用うれば万病を除くと信じ、天主僧ジャービョン西|韃靼《だったん》に使した時、大喇嘛の使者かようの粉一袋を清帝に献ぜんと申し出て拒まれた由。これらは無上に高値な糞であろう。わが邦でも古く陣中に馬糞を薪《たきぎ》にし、また馬糞汁もて手負いを療じた(『雑兵《ぞうひょう》物語』下)。したがって馬糞を金ほど重んじた場合もあったものか。羽黒山の社の前後に賽銭《さいせん》砂礫《されき》のごとく充満し、参詣人の草履《ぞうり》に著《つ》く故、下山に先だちことごとく払い落す。強慾な輩、そのまま家へ持ち帰れば皆馬糞に化《な》るという(『東洋口碑大全』七六二頁)。
前へ
次へ
全106ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング