留まる時、従者橋の細きを見て驚き、後《おく》れ来る口附を招きて、馬に任せて行けといったからこの災難が起ったと怒りの余り斬らんとす。他の従者これを留め、この里に住む八十余の翁に就いて謀《はかりごと》を問う。さればとて新しき青草を竿《さお》の先に縛り付け、馬の後足の間より足に触れぬよう前足の間へ挿し入れば、馬知りて草を食《は》む。一口食いて草を後へ二、三寸引き置かば馬もそれだけ後へ踏み戻してまた一口食む。また二、三寸引きて草を置くとまた踏み戻して食む。その草尽くる時その竿を収め、今一つの竿に草を附けてやらばまた踏み戻して食む。幾度もこうしてついに土上に戻る馬の口を取りて引き返し、衆《みな》大いに悦び老人を賞賜したてふ事じゃ。予の現住地田辺町と同郡中ながら、予など二日歩いてわずかに達し得る和深《わぶか》村大字里川辺の里伝に、河童《かしゃんぼ》しばしば馬を岩崖等の上に追い往き、ちょうど右の談のような難儀に逢わせるという。
話変って『付法蔵因縁伝』にいわく、月氏国智臣|摩啅羅《またら》その王|※[#「よんがしら/(厂+(炎+りっとう))」、第4水準2−84−80]昵※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]《けいじった》に、大王臣の教え通りせば四海を統一すべき間、何卒言を密にして臣の謀を洩らさぬようと願い、王承諾した。すなわちその謀を用いて三海皆臣属しければ王馬に乗りて遊び行く路上馬が足を折り挫《くじ》いた。王たちまち智臣の教えを忘れその馬に向い、我三海を征服せるも北海のみいまだ降らず、それを従えたら汝に乗らぬはず、それに先だって足を挫くとは不心得の至りと言った。それが群臣の耳に入ったので、多年兵を動かして人臣辛苦|息《や》まざるにこの上北海を攻むるようではとても続かぬ故王を除くべしと同意し、瘧《おこり》を病むに乗じ蒲団蒸《ふとんむし》にして弑《しい》した。かかる暴君一生に九億人殺した者も、かつて馬鳴《めみょう》菩薩の説法を聴いた縁に依って、大海中千頭の魚となり、不断首を截《き》られるとまた首が生え須臾の間に頸が大海に満つその苦しみ言うべからず。しかるに※[#「牛+建」、第3水準1−87−71]椎《こんつい》の音聞える間は首斬れず苦痛少しく息むと告げたので、寺で木魚を打ち出したポコポコだそうな。誠に口は禍《わざわい》の本《もと》嗜《たしな》んで見ても情なや、もの言わねば腹|
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