を「上るは下るは」といいホニホロと言わず、ホニホロは単に囃の詞《ことば》らしく、風を含み膨《ふく》れる体を帆《ほ》に幌《ほろ》とでも讃えたのでなかろうか。馬に縁ある打球戯をポロというほかに、ホニホロらしい洋語を知らぬ。ただしこの芸当オランダから来ただろうとはほぼ中りいる。というは、昔英国の五月節会に大流行だったモリス踊《ダンス》のホッビー・ホールスとて頭と尾は木造で彩色し、胴は組み合せで騎手の腰に合せ、下に布を垂れてその脚を覆《かく》す造馬がそれによく似居る。これはもとモールス人が始めた踊りで、スペインでモリスコと呼び、仏国では十五世紀に行われて、モリスクといった。英国へはスペインから移ったらしく、十六世紀にもっとも行われた。ピュリタン徒繁昌の際五月節会とともに禁止され、王政恢復後また行われたがいつとなく廃れおわる。それを予の知己の王立考古学会員などが、再興いな三興しようと企ていたが、戦争でジャンになったらしい。とにかくホニホロなる語を舶来と思うなら、欧州諸国語でホッビー・ホールス(英語)を何というかを調べなと好事家に告げ置く。
さてスウェン・ヘジンの『トランス・ヒマラヤ』にチベットのタシ・ルンポの元日節に、ネポール人が身の前後に燈籠各一を付け歌いながら歩む。前の燈籠は馬首、後のは馬尾を添えたから、あたかも火の点《とも》る馬に乗った体《てい》だったとあるより見れば、この類の考案は欧州特有のものでなかったろう。似た例一つ挙げんに、今は日本へも移し入れただろうが、三十年前予米国にあった時、田舎廻りの興行師が美麗な木馬を輪様に据え列ね、機械で動かせばぐるぐる駈け廻ると同時に、馬の首尾交互上下して奔馬を欺く。小児はもとより年頃の男女銭を払い時間を定め、それに乗りて歓呼|顧盻《こけい》しいた。酒ほどにはとても面白からぬ故、その遊びの名さえ聞かなんだが、今年ようやく右様の趣向も西洋独特のものでなきを知った。それ『大清一統志』巻二六四を御覧、『方輿勝覧』を引いて、四川《しせん》の大輪山、〈群峰|環《めぐ》り列なる、異人奇鬼のごとし、あるいは車に乗り蓋を張る、あるいは衣※[#「日/免」、455−9]峩冠《いべんがかん》す、あるいは帯甲のごとく、あるいは躍馬のごとく、勢い奔輪のごとき故に名づく〉。今より七百年ほど前既にかかる構思が宋人にあったのだ。
(付) 白馬節会につい
前へ
次へ
全106ページ中104ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング