置く。
香材の出処実に思いのほかなるもありて、一九〇三年版マヤースの『|人品および身死後その残存論《ヒューマン・パーソナリチー・エンド・イツ・サーヴイヴァル》』巻二第九章附録に、精神変態な人が、頭頂より二種の香液を他の望み次第出した記事と弁論あり。予これを信ぜなんだところ、七、八、九年前の毎春引き続き逆上して頭|腫《は》れ、奇南香また山羊にやや似た異香液不断出た。人により好き嫌いあるべきも、香油質のやや粘ったもので、予自身は甚だ好きだったが、医者が頑癬《たむし》の異態だろうとて薬を傅《つ》けても今に全癒せぬが、香液は三年切りで出でやんだ。人畜の体より出て、塗香に合すべき見込みあるもの多きもここに述べ得ず。ただ麝、麝鼠、麝牛、霊猫、海狸《ビーヴァー》等の体より分泌する諸香に遠く及ばねど、諸獣の胆や頑石や牡具の乾物も多少その用に充《あ》て得と言い置く。レオ・アフリカヌスはアフリカのセネガ人馬を得れば塗香の呪言|誦《ず》しながらその馬の全身に塗ると書いた。
昨年死んだ英国の地主マシャム男は、遺産百一万六千百五十ポンド十一ペンスてふ大富人だった。その遺言状に、騎馬競馬から車用馬まで飼馬残らずわが死後決して売却また贈遺すべからず、必ずことごとく撲殺すべしとあった由。大正六年の英国華族にすらこんながある。古文明国や、今の蛮地で馬を人に殉葬したればとて怪しむに足りぬ。南米パタゴニア人の例は上に挙げた。十三世紀に蒙古に遊んだ天主僧プラノ・カルピニの記に、その貴人死ねば天幕の真中に屍骸を坐らせ、鞍置き※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]《たづな》附けた牡馬牝馬と駒各一疋を添え葬り、別に一牡馬を殺してその肉を食い、皮に藁を詰め棒|尖《さき》に刺して立て、死者が冥界にあってもこの世と斉《ひと》しく天幕に住み母乳を飲み、牡馬に乗り馬を飼い殖やし得と信じた。今日もシベリアのブリヤット人死ぬとその乗馬を殺し、もしくは放ち、コーカサス人、夫死すればその妻と鞍馬《あんば》をして三度その墓を廻らしめ、爾後寡婦も馬もまた御せらるる事なからしむ。これ昔馬を殉葬した遺風だ。
前項に引いた通り、仏書に、人が父母を殺さば無間地獄に堕ちるが、畜生が双親を殺したらどうだとの問いに答えて、聡慧《そうけい》なる者は落つれどしからざる者は落ちずとあるごとく、馬に取っては迷惑千万だろうが、その忠勤諸他
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