由ミシュレーが言った――日本に調香の知識が開けたは、漢土天竺の文物が輸入されたに始まったらしい(『仏教大辞彙』一巻香の条、久米博士『日本古代史』八二節、推古帝|菟田野《うだのの》の薬猟《くすりがり》の条)。それが追々発達改善されて世界最精の香道となったが、調香の主な材料は始終外国品多かったは『薫集類抄』等で判り、いずれも日本へ移殖のならぬもの故やむをえぬ事ながら、鉄漿《かね》蓴汁《じゅんじゅう》など日本産の間に合う物は自国のを用い、追々は古方に見ぬ鯨糞などをも使う事を知り用いた。『徒然草』に、「甲香は宝螺貝のやうなるが、小さくて口のほどの細長にして出でたる貝の蓋《ふた》なり、武蔵《むさし》の国金沢といふ浦にありしを、所の者はへなたりと申し侍《はべ》るとぞいひし」(『鎌倉攬勝考』附録に図あり)。その頃まで邦産なしと心得輸入品を用いおったが、ようやく右の地で捜し出たらしく、古人苦辛のほど察すべし。この※[#「厭/甲」、第4水準2−3−56]《へた》ばかり焼《た》けば臭《かざ》悪《あ》しきも、衆香に雑《まじ》えて焼かば芳を益《ま》し合香に必須だ。ベーカーの説に、かかる※[#「厭/甲」、第4水準2−3−56]《へた》紅海にも産し、ある海藻とともに諸香に合せ婦女の身を燻《ふす》ぶると、猫に天蓼《またたび》ほど男子を惹き密《つ》くる由。
 以上は上流社会に行われた香道の譚で、絵で言えば土佐|狩野《かのう》のように四角張ったものだが、鬢附油の匂いに至っては専ら中下の社会を宛《あ》て込んで作ったちょうど浮世絵様の物なれば、下品といえば下品なると同時に、人に感受さるる力も強く、また解りやすい。因って鬢附油の口伝秘訣等から考えて、これと兄弟ほど近類なる塗香を、その国々の好みに応じて作り出し売り試みよと人々に勧めた事であった。その調剤の次第については種々聞き書きまた考え置いた事もあるが、自分の家代々長生なりしに、父がよせば善《よ》いのに一代分限を起して割合に世を早くしたから、父も儲けざあ死ぬるまい、金が敵《かたき》の世の中と悟り、あいなるべく金の儲からぬ工夫を専一にしおれば、余り金になりそうな話をするを好まぬ。ただわが邦の人の眼界|甚《いと》狭く、外人が先鞭を着けた跡を襲踏するのみで、われより先例を出す事少なきを笑止に思い、二十余年既に予に右様の思案が泛《うか》みいたてふ昔話を做《な》し
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