医術と魔法が分立せぬ時、半ば学理半ば迷想に由りて盛んに行われたもので(今日とてもこの類の物が薬餌《やくじ》香飾等と混じて盛んに行わるるは、内外新紙の広告で知れる)、形状作用の相似た物は相互その力を相及ぼすてふ同感の見に基づく。
国文の典型たる『土佐日記』に、筆者貫之朝臣の一行が土佐を出てより海上の斎忌《タブー》厳しく慎みおりしに、日数経てやっと室津《むろのつ》に着き、「女これかれ浴《ゆあ》みなどせむとて、あたりの宜しき所に下りて往く云々、何の葦影に託《ことづ》けて、ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、心にもあらぬ脛《はぎ》にあげて見せける」。この文を従前難解としたが、谷川士清《たにかわことすが》の『鋸屑譚《おがくずばなし》』に始めてこれを釈《と》いた。ホヤは仙台等の海に多く、科学上魚類に近い物ながら、外見|海参《なまこ》に酷似す。イズシは貽貝《いがい》の鮓《すし》で、南部の方言ヒメガイ(『松屋筆記』百五巻)、またニタガイ(『本草啓蒙』四二)、漢名東海夫人、皆その形に因った名で、鰒《あわび》を同様に見立つる事、喜多村信節《きたむらのぶよ》の『※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭《いんてい》雑録』にも見える。次に岸本由豆流《きしもとゆずる》が件《くだん》の文の「何の葦影に託けて」の何は河の誤写と発明したので、いよいよ意味が明らかになった。全く貫之朝臣が男もすなる日記てふ物を女もして見せるとて、始終女の心になりて可笑味《おかしみ》を叙《の》べたもの故、ここも水|渉《わた》るため脛《はぎ》高く掲げしかば、心にもあらで、ホヤの妻ともいうべき貽貝や鰒様の姿を、葦の影の間に映し見せたてふ、女相応の滑稽と判った(『しりうこと』第五)。また昔子を欲する邦人が渇望した肉※[#「くさかんむり/從」、第4水準2−86−64]蓉《にくじゅうよう》は、『五雑俎』十一に、群馬の〈精滴地に入りて生ず、皮松鱗のごとし、その形柔潤肉のごとし、云々、この物一たび陰気を得ば、いよいよ壮盛加わる、これを採り薬に入れ、あるいは粥を作りこれを啖えば、人をして子あらしむるという〉、また健補の功それよりも百倍すてふ鎖陽は、野馬あるいは蛟竜遺精より生じ、同前の伝説ある由『本草綱目』に出《い》づ。肉※[#「くさかんむり/從」、第4水準2−86−64]蓉は邦産なく従来富士日光諸山のサムタケを当て来り、金
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