十二支考
蛇に関する民俗と伝説
南方熊楠
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)淮南子《えなんじ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)山中|未《ひつじ》の日
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「爿+羊」、第4水準2−80−15]《しょう》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)伊右衛門/\と唱えて入らば、
*:注釈記号
(底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)傾城《けいせい》とある*を、
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『古今要覧稿』巻五三一に「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子《えなんじ》』に山中|未《ひつじ》の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して※[#「爿+羊」、第4水準2−80−15]《しょう》奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地《ひつじのち》といいしは羊を以て未《ひつじ》に配当せしもその由来古し」と論じた。果してその通りなら十二支に十二の動物を配る事戦国時既に支那に存したらしく、『淮南子』に〈巳の日山中に寡人と称せるは、社中の蛇なり〉とある、蛇を以て巳に当てたのも前漢以前から行われた事だろうか。すべて蛇類は好んで水に近づきまたこれに入る。沙漠無水の地に長じた蛇すら能く水を泳ぎ、インドで崇拝さるる帽蛇《コブラ》は井にも入れば遠く船を追うて海に出る事もあり。されば諸国でいわゆる水怪の多くは水中また水辺に棲《す》む蛇である(バルフォール『印度事彙』蛇の条、テンネント『錫蘭博物志《ナチュラル・ヒストリ・オヴ・セイロン》』九章、グベルナチス『動物譚原《ゾーロジカル・ミソロジー》』二)。わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意《こころ》でミヅチと呼んだらしくそれに蛟※[#「虫+罔」、222−12]※[#「虫+礼のつくり」、第3水準1−91−50]等の漢字を充《あ》てたはこれらも各支那の水怪の号《な》故だ。現今ミヅシ(加《かが》能《のと》)、メドチ(南部)、ミンツチ(蝦夷)など呼ぶは河童なれど、最上川と佐渡の水蛇|能《よ》く人を殺すといえば(『善庵随筆』)、支那の蛟同様水の主たる蛇が人に化けて兇行するものをもとミヅチと呼びしが、後世その変形たる河童が専らミヅシの名を擅《ほしいまま》にし、御本体の蛇は池の主淵の主で通れどミヅチの称を失うたらしい。かく蛇を霊怪《ふしぎ》視した号《な》なるミヅチを、十二支の巳《し》に当て略してミと呼んだは同じく十二支の子《し》をネズミの略ネ、卯《ぼう》を兎の略ウで呼ぶに等し。また『和名抄』に蛇《じゃ》和名《わみょう》倍美《へみ》、蝮《ふく》和名《わみょう》波美《はみ》とあれば蛇類の最も古い総称がミで、宣長の説にツチは尊称だそうだから、ミヅチは蛇の主の義ちょうど支那で蟒《うわばみ》を王蛇と呼ぶ(『爾雅』)と同例だろう。さてグベルナチスが動物伝説のもっとも広く行き渡ったは蛇話だといったごとく、現存の蛇が千六百余種あり。寒帯地とニューゼーランドハワイ等少数の島を除き諸方の原野山林沼沢湖海雑多の場所に棲み大小形色動作習性各同じからず、中には劇毒無類で人畜に大難を蒙《こうむ》らするもあれば無毒ながら丸呑みと来る奴も多く古来人類の歴史に関係甚だ深い。故にこれに関する民族と伝説は無尽蔵でこれを概要して規律正しく叙《の》ぶるはとても拙筆では出来ぬ。だが昨年三月号竜の話の末文に大分メートル高く約束をしたから、今更黙ってもおれず、ざっと次のごとく事項を分け列ねた各題目の下に蛇についての諸国の民俗と伝説の一斑《いっぱん》を書き集めよう、竜の話に出た事なるべくまた言わぬ故|双《ふたつ》参《あわ》せて欲しい。
名義
本居宣長いわく、「『古事記』の遠呂智《おろち》は『書紀』に大蛇とあり、『和名抄』に蛇和名|倍美《へみ》一名|久知奈波《くちなわ》、『日本紀私記』にいふ乎呂知《おろち》とあり、今俗には小さく尋常なるを久知奈波といひ、やや大なるを幣毘《へび》といふ、なほ大なるを宇波婆美《うわばみ》といひ、極めて大なるを蛇《じゃ》といふなり、遠呂智とは俗に蛇といふばかりなるをぞいひけむ云々」。またいわく、「『和名抄』に蛇和名倍美|※[#「虫+元」、224−5]蛇《げんじゃ》加良須倍美《からすへみ》※[#「虫+冉」、224−6]蛇《ぜんじゃ》仁之木倍美《にしきへみ》とありて幣美《へみ》てふ[#「てふ」に「〔という〕」の注記]名ぞ主《むね》と聞ゆる、同じ『和名抄』蝮の条に、〈俗あるいは蛇を呼ぶに反鼻と為す、その音|片尾《へんび》〉といへるは和名倍美とは似たれども別なりと聞ゆ、反鼻は本より正名にあらず一名なるを、その音を取りて和名とすべきにあらず、それも上代この御国になかりし物は漢の一名などをも取りて名づくる例かれこれあれども、蛇などは神代よりある物なれば名もなかるべきにあらず云々、その上幣美といふ名は広くいひ習はしたるやうに聞ゆるをや、しかればこは反鼻の音と自然似たるのみなりけり」。また『和名抄』に蟒蛇《ぼうじゃ》、和名|夜万加々知《やまかがち》、『古事記』に赤加賀智《あかかがち》とは酸漿《ほおずき》なりとあれば、山に棲んで眼光強い蛇を山酸漿《やまかがち》といったのであろう。今もヤマカガシちゅう蛇赤くて斑紋あり山野に住み長《たけ》六、七尺に及び、剛強にして人に敵抗す。三河の俗説に愛宕または山神の使といい、雷鳴の際天上すともいう(早川孝太郎《はやかわこうたろう》氏説)。ありふれた本邦の蛇の中で一番大きいからこれを支那の巨蟒《きょぼう》に充《あ》てたものか。普通に蟒に充てるウワバミは小野蘭山これを『和名抄』の夜万加々智とす。深山に棲み眼大にして光り深紅の舌と二寸ばかりの小さき耳あり、物を食えば高鼾《たかいびき》して睡《ねむ》る由(『和漢三才図会』)、何かの間違いと見え近頃一向かかる蛇あるを聞かず。ただし昔到る処林野多くも深くもあった世には、尋常のヤマカガシなども今より迥《ずっ》と老大のもありたるべく、それらを恐怖もて誤察し種々誇大のウワバミ譚をも生じたなるべし、『本草綱目』には巨蟒《きょぼう》一名|鱗蛇《りんじゃ》と見えて、さきに書いたごとく大蛇様で四足ある大蜥蜴だが、〈蟒は蛇の最も大なるもの、故に王蛇という〉といい(『爾雅』註)、諸書特にその大きさを記して四足ありと言わぬを見れば、アジアの暖地に数種あるピゾン属の諸大蛇、また時にはその他諸蛇の甚だしく成長したのを総括した名らしい。ここに一例としてインド産のピゾン一種人に馴《な》るる状《さま》を示す(図略す)。これは身長二丈余に達する事あり。英人のいわゆる岩蛇《ロック・スネーク》だ。
『和名抄』に仁之木倍美《にしきへみ》と訓《よ》んだ※[#「虫+冉」、225−11]蛇は日本にない。予漢洋諸典を調べるに後インドとマレー諸島産なる大蛇ピゾン・レチクラツスに相違ない。この学名はその脊紋が網眼に似居るに基づき、すこぶる美麗でかの辺の三絃様な楽器の胴に張りおり、『本草』に〈※[#「虫+冉」、225−13]蛇嶺南に生ず、大なるは五、六丈、囲り四、五尺、小なるも三、四丈を下らず〉とあるが、『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』十一版に南米熱地産なるアナコンダに次いで諸蛇の最大なるものとあり。アはベーツ説に四十フィートに達するそうだが、ピゾン・レチクラツスは三十フィートまで長ずというから『本草』の懸値《かけね》は恕《ゆる》すべしで、実に東半球最大の蛇だ。さて『本草』に〈身斑紋あり、故に錦纈《きんけつ》のごとし春夏山林中にて鹿を伺いてこれを呑む云々〉とあるは事実で、その肉や胆《い》の薬効を『本草』に記せると実際旅行中実験した欧人|輩《ら》の話とが十分二者を同物とする拙見を扶《たす》け立たしむ。マルコ・ポロ南詔国《なんしょうこく》の極めて大きな蛇を記して「その長《たけ》三丈ほど、太さ大樽のごとく、大きな奴は周り三尺ばかり、頭に近く二前脚あり、後足は鷹また獅子の爪ごとき爪でこれを表わすのみ、頭すこぶる大きく眼は巨なる麪麭《パン》より大きく、口広くして人を丸嚥《まるの》みにすべく歯大にして尖《とが》れり、これを見て人畜何ぞ戦慄せざらん、日中は暑ければ地下に躱《かく》れ夜出て食を覓《もと》め、また河や湖泉に行き水を飲む、その身重き故行くごとに尾のために地|凹《くぼ》む事大樽に酒を詰めて挽《ひ》きずりしごとし、この蛇往還必ず一途に由る故、猟師その跡に深く杭《くい》を打ち込み、その頂に鋭き鋼《はがね》の刃|剃刀《かみそり》様なるを植え、沙《すな》もて覆うて見えざらしむ。かかる杭と刃物を蛇跡へ幾つも設け置いたと知らないかの蛇は、走る力が速ければ刃の当りも強くしてやにわに落命してしまう、烏これを見て鳴くと、猟師が聞き付け走り来ると果して蛇が死んでおり、その胆を取りて高価に售《う》る。狂犬に咬まれた者少しく服《の》まば即座に治る、また難産や疥癬に神効あり、その肉また甘《うま》ければ人好んで購《あがな》い食う」と言った。『淮南子《えなんじ》』に、越人※[#「虫+冉」、226−14]蛇を得て上《よき》肴《さかな》となせど中国人は棄て用いるなし。『嶺表録異』に、晋安州で※[#「虫+冉」、226−15]蛇を養い胆を取りて上貢としたと載せ、『五雑俎』に、〈※[#「虫+冉」、226−16]蛇大にして能く鹿を呑む、その胆一粟を口に※[#「口+禽」、226−16]《ふく》めば、拷椋《ごうりゃく》百数といえどもついに死せず、ただし性大寒にして能く陽道を萎せしめ人をして子なからしむ〉。ランドの『安南風俗迷信記』にこの蛇土名コン・トラン、その脂を塗れば鬚生ずとあれば漢医がこれを大寒性とせるは理あり、『※[#「土へん+卑」、第3水準1−15−49]雅』には〈※[#「虫+冉」、227−3]蛇の脂人骨に著《つ》くればすなわち軟らかなり〉。さてマルコの書をユールが注して、これは※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《がく》の事だろう、イタリアのマッチオリは※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の胆が小|瘡《かさ》や眼腫に無比の良薬だといったと言うたは甚だ物足らぬ。両《ふたつ》ながら胆が薬用さるるからマルコの大蛇と※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]と同物だとは、不埒《ふらち》な論法なる上何種の※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]にもマルコが記したごとき変な肢がない。予|謂《おも》うにマルコはこの事を人伝《ひとづて》に聞書《ききがき》した故多少の間違いは免れぬ。すなわち頭に近く二前脚ありとは全く誤聞だが、ここに件《くだん》の大蛇が※[#「虫+冉」、227−8]蛇すなわちピゾン・レチクラツスたる最も有力な証拠はすべて蛇類は比較的新しき地質紀に蜥蜴類が漸次四脚を失うて化成した物で、精確にこれまでが蜥蜴類これからが蛇と別つ事はならぬ。されば過去世のピゾノモルファ(擬蟒蛇《うわばみもどき》)など体長きこと蟒蛇に逼《せま》りながら確かに肢を具えていた。さて※[#「虫+冉」、227−11]蛇《ボイダエ》群の蛇はおよそ六十種あり、熱帯アメリカのボアやアナコンダ、それから眼前予の論題たる※[#「虫+冉」、227−12]蛇《ピゾン》、いずれも横綱|著《つき》の大蛇がその内にある。知人英学士会員プーランゼーは、※[#「虫+冉」、227−13]蛇《ボイダエ》群は蛇のもっとも原始な性質を保存すと言った。その訳はこの一群の諸蛇蜥蜴を離るる事極めて遠からず、腰骨と後足の痕《あと》をいささかながら留めおり、すなわち後足の代りに何の役にも立たぬ爪二つ相対して腹下にある。これ正しくマルコが鷹また獅の爪ごとき爪が後足を表わすといえるに合い、南詔国(現時雲南省とシャン国の一部)辺に※[
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