法に書いては見所なき故、わざと過分に書くといったのだが、実際それぞれの物どもも、活溌に働く最中には、十二分に勢いも大きさも増すに相違ない。予深山で夕刻まで植物を観察し、急いで小舎《こや》に帰る途上、怪しき大きな風呂敷様の物、眼前に舞い下るに呆《あき》れ立ち居ると、変な音を立て樹を廻り行くを見ると、尋常の※[#「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2−94−68]鼠《むささび》で、初め飛び落ち来った時に比して甚だ小さい。この物勢い込んで飛ぶ時、翅《はね》が張り切りおり、なかなか博物館で見る死骸を引き伸ばした標品とは、大いに大きさが違うようだった。
 さて欧州で名手が作ったおそくずの絵を見た内に、何の活動もなきアルコール漬を写生したようなが多く、したがってこの種の画は、どうも日本の名工に劣るが多く思われたは、全く写生に執心する余り、死物を念入れて写すような事弊に陥ったからであろう。故に西洋人の写生が、必ずしも究竟の写生でなく、東洋風の絵虚事が、かえって実相を写し得る場合もあると惟《おも》う。この事は明治三十年頃、予がロンドンのサヴェージ倶楽部で、アーサー・モリソンに饗応された席で同氏に語り
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