者も、多分こんな性の坊主だろう。
女の方へ脱線ばかりすると方付《かたづ》かぬから、また蛇の方へ懸るとしよう。まず蛇の魅力の豪い奴から始める。『酉陽雑俎』の十に、〈蘇都瑟匿国西北に蛇磧あり、南北蛇原五百余里、中間あまねき地に、毒気烟のごとくして飛鳥地に墜つ、蛇因って呑み食う〉、これは地より毒烟上りて、鳥を毒殺するその屍を蛇が食うのか、蛇がその磧《すなはら》一面に群居し、毒気を吐きて鳥を堕《おと》し食うのか判らぬ。蛇が物を魅するというは、普通に邪視を以て睥《にら》み詰めると、虫や鳥などが精神|恍惚《とぼけ》て逃ぐる能わず、蛇に近づき来り、もしくは蛇に自在に近づかれて、その口に入るをいうので、鰻が蛇に睥まれて、頭を蛇の方へ向け游《およ》ぎ、少しも逃げ出す能わなんだ例さえ記されある。『予章記』に、呉猛が殺せし大蛇は、長《たけ》十余丈で道を過ぐる者を、気で吸い取り呑んだので、行旅《たびびと》断絶した。『博物志』に、天門山に大巌壁あり、直上数千|仭《じん》、草木|交《こもご》も連なり雲霧|掩蔽《えんぺい》す。その下の細道を行く人、たちまち林の表へ飛び上がる事幾人と知れず。仙となりて昇天するようだから、これを仙谷と号《な》づけた。遠方から来て昇天を望む者、この林下にさえ往けば飛び去る。しかるにこれを疑う者あり、石を自分の身に繋《つな》ぎ、犬を牽《ひ》いて谷に入ると犬が飛び去った。さては妖邪の気が吸うのだと感付き、若少者《わかもの》数百人を募り捜索して、長数十丈なる一大|蟒蛇《うわばみ》を見出し殺した(『淵鑑類函』四三九)。
プリニウスいわく、ポンツスのリンダクス河辺にある蛇は、その上を飛ぶ鳥を取り呑む、鳥がどれほど高く速く飛んでも必ず捉わると。『サミュール・ペピスの日記』一六六一年二月四日の条に、記者ある人より聞いたは、英国ランカシャーの荒野に大蛇あり、雲雀《ひばり》が高く舞い上がるを見て、その真下まで這い行き口を擡《もた》げて毒を吐かば、雲雀たちまち旋《かえ》り堕ちて蛇口に入り、餌食となると書いた。コラン・ド・プランシーの『妖怪辞彙《ジクチョネーランフェルナル》』五版四一三頁に、ペンシルヴァニアの黒蛇、樹下に臥して上なる鳥や栗鼠《りす》を睥むと、たちまち落ちてその口に入るといい、サンゼルマンの『緬甸帝国誌《ゼ・バーミース・エンパイヤー》』に、ビルマ人は、蛇が諸動物を魅して口へ吸い込む、かつて大きな野猪が、虎と噛み合うていたところを、大蛇がこの伝で呑んだといい、帽蛇に睥まれた蛙は、哀鳴してその口に飛び入り食わるというとある。ペンナントいわく、響尾蛇《ラトル・スネーク》、樹上の栗鼠を睨めば、栗鼠|遁《のが》れ能わず悲しみ鳴く、行人その声を聞いて、響尾蛇がそこに居ると知る(熊楠、米国南部で数回かかる事あった)。栗鼠は樹を走り、上りまた下り、また上り下る。一回は一回より増えて多く下る。この間蛇は、栗鼠を見詰めて他念なく、人これに近づくもよほど大きな音せねば逃げず、最後に栗鼠蛇の方へ跳び下りるを、待ってましたと頂戴《ちょうだい》しおわると。ル・ヴァーヤンも、親《みずか》ら鳥が四フィートばかり隔てて、蛇に覘《ねら》わるるを見しに、身体|痙攣《ひきつり》て動く能わず。傍人蛇を殺して鳥を救いしも、全く怖れたばかりで死にいた証拠には、その身を検《しら》べしに少しも疵《きず》なかった。また二ヤードほど距てて蛇に覘わるる鼠を見しに、痙攣《ひきつり》て大苦悩したが、蛇を追い去って見れば鼠は死にいたりと。米国のバートンこれを評して、世に事々《ことごと》しく蛇の魅力というは、蛇に覘《ねら》わるる鳥獣がその子供の命を危ぶみ恐れて叫喚するまでの事で、従来魅力一件を調べると、奇とすべき事がただ一つあるのみ、それは観察も相応に、理解もよい人にして、なおこんな愚説を信ずる一事だと言ったが、フェーラーが言ったごとく、蛇に執《とら》われ啖《く》わるるまで一向蛇を恐れぬ動物も、やはり蛇に魅せられるから、魅力すなわち恐怖とも言えぬ。
明治十九年秋、予和歌山近傍岩瀬村の街道傍の糞壺の中に、蛙が呻《うめ》くを聞き、就《つ》いて見ると尋常《なみ》の青大将が、蛙一つ銜《くわ》え喉へ嚥《の》み下すたびに呻くので、その傍に夥しく蛙がさして、驚いた気色もなく遊び游《およ》ぎ居るを、蛇が一つ呑みおわりてまた一つ、それからまた一つと夥しく取って啖うのだ。予四十分ばかり見ていたが、大分腹も日も北山に傾いて来たから、名残《なごり》惜しげに立ち去った。この場合、もし魅力これ恐怖といわば、壺中で四十分も自在に游ぎ廻る間に、一疋くらいは壺から外へ逃げそうなものだ。しかるに阿片に酔わされた女が、踏み蹴《け》られても支那人の宅を脱せぬごとく、朋輩《ほうばい》が片端から啖わるるを見、呻き声を聴きながら、悠々と壺
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