に産するところの物有無異同あり。例せばシフノス島には毒蛇あり、ケオス島に蠍《かつ》、アンチパロス島には蜥蜴のみありて全く蛇なし(ベントの『シクラデス』九〇頁)。『大和本草』に四国に狐なしというが『続沙石集』に四国で狐に取り付かれた話を載す。いずれが間違って居るかしら、『甲子夜話』に壱岐《いき》に※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1−94−84]鼠《うごろもち》なしとある。ロンドンなどは近代全く蛇を生ぜぬという、アイルランドは蛇なきを以て名高く、伝説にこれはパトリク尊者の制禁に因るという。この尊者の生国は定かならず、西暦三七二年頃生まれ十六歳で海賊に捉われアイルランドに売られて人奴となりしが脱《のが》れて大陸に渡り、仏国で修業およそ十四年ついに僧正となり法皇の命を奉じてアイルランドに伝道した。その国のドルイド教の僧輩反抗もっとも烈しかったので尊者やむをえずその沃野《よくや》を詛《とこ》うてたちまち荒れた沼となし川を詛うて魚を生ぜざらしめ缶子を詛うていくら火を多く焼《た》いても沸かざらしめ、ついにかの僧輩を詛うて地中に陥り没せしめた。一朝その徒と山中におり寒風堪ゆべからなんだ時、氷雪を集めて息を吹き掛けるとたちまち火となったと詠んだ詩人もある。尊者また太鼓を打ちてアイルランドから毒虫を駆り尽くすに余り力を入れ過ぎて太鼓中途で破れ、その挙また破れかかった時神使下ってこれを繕い目出たく悪虫を除き去り、爾来《じらい》永久この国の土に触れば蝮が即死する。この国の石や砂を他邦へ持ち行き毒虫を取り廻らせば虫その輪を脱け出で得ず皆死す。この国の木で圏《わ》を画くもまたしかり。一説に狼と鼬《いたち》と狐には利《き》かぬとあり。また一説にはこれら皆|空《うそ》で実は尊者の名パトリックをノールス人がパド・レクルと間違え蟾蜍《ひき》を(パダ)逐《お》い去る(レカ)と解した。蟾蜍を欧人は大変な毒物とするところから拡げて、すべての悪性動物を制禁して生ずるなからしめたというたんだそうな(チャンバース『日次事纂《ブック・オヴ・デイス》』二、『フォクロール』五巻四号)。アイスランドも蛇なきを以て聞えた。ボスエルの『ジョンソン伝』に、ジョンソンわれ能くデンマーク語でホレボウの『氷州《アイスランド》博物誌』の一章を暗誦《あんしょう》すと誇るので試《やら》せて見ると、「第五十二章蛇の事、全島に蛇なし」とあるばかりだそうな。熊楠ウェブストルの字書を見るとルジクラス(可笑《おかし》い)の例としてド・クインシーの語を引く。いわくファン・トロールの書に「アイスランドの蛇―なし」これだけを一章として居ると。前年一英人ファン・トロールの書をデンマークより取り寄せ仔細に穿鑿《せんさく》せしもかかる章を見ざりしと聞く。ド・クインシー例の変態精神から心得違うてかかる無実を言い出したなるべし。
身の大きさ
ベーツの『|亜馬孫河畔の博物学者《ゼ・ナチュラリスト・オン・ゼ・リヴァー・アマゾンス》』アナコンダ蛇が四十二フィートまで長じた事ありと載せ、テッフェ河汀で小児が遊び居る所へアナコンダが潜み来て巻き付いて動き得ざらしめその父児の啼《な》くを聞きて走り寄り、奮って蛇の頭を執らえ両|齶《あご》を※[#「てへん+止」、第3水準1−84−71]《ひ》き裂いたと言う。錦絵や五姓田《ごせだ》氏の油絵で見た鷺池平九郎の譚もまるで無根とも想われぬ。アマゾン辺の民|一汎《いっぱん》に信ずるはマイダゴア(水の母また精)とて長《たけ》数百フィートの怪蛇あり、前後次第して河の諸部に現わると。『千一夜譚《サウザンドナイツ・エンド・ア・ナイト》』に海商シンドバッド一友と樹に上り宿すると夜中大蛇来てその友を肩から嚥《の》みおわり緊《きび》しく樹幹を纏《まと》うて腹中の人の骨砕くる音が聞えたと出で、有名な東洋ゴロ兼|法螺《ほら》の日下|開山《かいさん》ピントはスマトラで息で人殺す巨蛇に逢ったといい、ドラセルダ、ブラジルのサンパウロを旅行中その僕《しもべ》大木の幹に腰掛くると動き出したから熟《よく》視《み》ると木でなくて大蛇だったと記した。『山海経《せんがいきょう》』に巴蛇《はじゃ》象を呑む、一六八三年ヴェネチア版ヴィンセンツオ・マリヤの『東方行記《イル・ヴィアジオ・オリエンタリ》』四一六頁にインドのマズレ辺に長九丈に達する巨蛇ありて能く象を捲き殺す、その脂は薬用さる、『梁書』に〈倭国獣あり牛のごとし、山鼠と名づく、また大蛇あり、この獣を呑む、蛇皮堅くして斫《き》るべからず、その上孔あり、乍《はや》く開き乍く閉づ、時にあるいは光あり、これを射て中《あつ》れば蛇すなわち死す〉。日本人たるわれわれ何とも見当の付かぬ珍談だが何か鯨の潮吹《しおふき》の孔などから思い付いた捏造《ねつぞう》説でなかろうか。
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