だ奴の方へ躍り来た勇気のほど感じ入ったが、それをもまた打ち殺し、次に来るをも打ち殺し、かくて四、五疋殺したので蛙も続かず、こっちも飽きが出て何しに躍り来たか見定めなんだが、上述の蝮を殺した実験もあり、また昔無人島などで鳥獣を殺すとその侶《とも》の鳥獣が怕《おそ》れ竄《かく》れず、ただ怪しんで跡より跡より出で来て殺された例も多く読んだから攷《かんが》うると、いかなる心理作用よりかは知らぬが、同類殺さるを知りながら、その死処に近づく性《たち》の動物が少なからぬようで、蚯蚓などの下等なものは姑《しばら》く措《お》き、蝮、栗鼠ごときやや優等のもの多かった山中には、一疋殺せば数十も集まり来る事ありしを右のごとく大層に言い伝えたのかと想う。
ただしかかる現象を実地について研究するに、細心の上に細心なる用意を要するは言うまでもないが、人の心を以て畜生の心を測るの易《やす》からぬは、荘子と恵子が馬を観《み》ての問答にもいえる通りで、正しく判断し中《あ》てるはすこぶる難い。たとえば一九〇二年に出たクロポートキン公の『互助論《ミューチュアル・エード》』に、脚を失いて行き能わぬ蟹を他の蟹が扶《たす》け伴れ去ったとあるを、那智山中読んで一月|経《へ》ぬ内に、自室の前の小流が春雨で水増し矢のごとく走る。流れのこっちの縁に生えた山葵《わさび》の芽を一疋の姫蟹が摘み持ち、注意して流れの底を渡りあっちの岸へ上り終えたところを、例の礫を飛ばして強く中てたので半死となり遁《のが》れ得ず、爾時《そのとき》岩間より他の姫蟹一疋出で来り、件《くだん》の負傷蟹を両手で挟《はさ》み運び行く。この蟹走らず歩行遅緩なれば、予ク公の言の虚実を試《ため》すはこれに限ると思い、抜き足で近より見れば、負傷蟹と腹を対《むか》え近づけ両手でその左右の脇を抱き、親切らしく擁《かか》え上げて、徐《そぞ》ろ歩む友愛の様子にアッと感じ入り、人を以て蟹に及《し》かざるべけんやと、独り合点これを久しゅうせし内、かの親切な蟹の歩み余りに遅く、時々立ち留まりもするを訝《いぶか》り熟視すると何の事だ、半死の蟹の傷口に自分の口を接《あ》て、啖《く》いながら巣へ運ぶのであった。これを見て予は書物はむやみに信ぜられぬもの、活動の観察はむつかしい事と了《さと》った次第である。
蛇が他の物に化け、他の物が蛇になる話はかくのごとく数え切れぬほど多い。また蛇が自分化けるでなく、人を化けしむる力ありてふ迷信もある。ボルネオの海《シイ》ダヤク人はタウ・テパン(飛頭蛮《ろくろくび》)を怖るる事甚だし、これはその頭が毎夜体を離れ抜け出でて、夜すがらありたけの悪事を行い、旦《あした》近く体へ復《かえ》るので里閭《りりょ》これと交際を絶ち、諸《もろもろ》の厭勝《まじない》を行いその侵入を禦《ふせ》ぎ、田畠には彼が作物を損じに来る時、その眼と面を傷つくるよう竹槍を密《ひそ》かに植うる。あるいはいう、昔その地を荒らした大蛇の霊がわが舌を取って食い得たら、頭だけ飛行自在にしてやると教えたに始まると(六年前四月二十日の『ネーチュール』)。
蛇が人に化けた例は諸国甚だ多く、何のために化けたかと問うと、多くは『平家物語』の緒方家の由緒通り、人と情交を結ばんとしてである。また人が蛇に化けて所願を遂げた例もありて、トランスカウカシアの昔話に、アレキサンダー大王はその実偉い術士の子だった。この術士常にマケドニア王フィリポスの后オリムピアスを覬覦《きゆ》したがその間《ひま》を得ず、しかるに王軍行して、后哀しみ懐《おも》う事切なるに乗じ、御望みなら王が一夜還るよう修法《しゅほう》してあげるが、蛇の形で還っても構わぬか、人の形ではとてもならぬ事と啓《もう》すと、ただ一度逢わば満足で、蛇はおろかわが夫が真実還ってくれるなら、糞蛆《せっちむし》の形でもこちゃ厭《いと》やせぬと来た。得たり賢し善は急げと、術士得意の左道を以て自ら蛇に化けて一夜を后と偕《とも》に過ごし、同時に陣中にある王に蛇となって后に遇う夢を見せた。軍《いくさ》果て王いよいよ還ると后既に娠《はら》めり。王怪しんでこれを刑せんとす。后いわく、爾々《しかじか》の夜王は蛇となって妾と会えりと。聞いてびっくり苅萱道心《かるかやどうしん》なら、妻妾の髪が蛇となって闘うを見て発心したのだが、この王は自分が蛇となった前夜の夢を憶い出して奇遇に呆《あき》れ、后を宥《ゆる》してまた問わず。しかし爾後蛇を見るごと、身の毛|竪立《よだ》ちて怖れたそうだ。烏羽玉《うばたま》の夢ちゅう物は誠に跡方もない物の喩えに引かるるが、古歌にも「夢と知りせば寤《さめ》ざらましを」と詠んだ通り、夫婦情切にして感ずる場合はまた格別と見え、『唐代叢書』五冊に収めた『開元天宝遺事』に、〈楊国忠《ようこくちゅう》出でて江浙に使し、その
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