一対の肋《あばら》と相伴う。されば平滑な硝子《ガラス》板を蛇這い得ず。その板をちょっと金剛砂で磨けば微細の凸起を生ずる故這い得。また蛇の進行を示すとてその体上下に波動し、上に向いた波全く地を離れ、下に向いた波のみ地に接せるよう描いた画多きも、これ実際あり得ぬ事じゃと。第四図[#図省略]は予在英中写し取った古エジプトの画で、オシリス神の像を毀《こわ》した者を大蛇ケチが猛火を吐いて滅尽するところだが、蛇が横に波曲すればこそ行き得ると知った人も、横に波動するを横から見たところを紙面に現わすは非常な難件故、今日とても東西名手の作にこの古エジプト画と同様、またほぼ相似た蛇を描いて人も我も善く出来たと信ずるが少なからぬ。ガ氏また古画に蛇|螺旋《らせん》状に木を登るところ多きを全く不実だといったが、これは螺旋状ならでも描きようがあると思う。されば神戦巻第一図に何の木をも纏《まと》わず、縁日で買った蛇玉を炙《あぶ》り、また股間《またぐら》の※[#「やまいだれ+節」、第3水準1−88−59]腫《ねぶと》を押し潰《つぶ》して奔り出す膿栓《のうせん》同様螺旋状で進行する蛇が見えたは科学者これを何と評すべき。ただし既に述べ置いた通り、美術としては絵嘘事《えそらごと》も決して排すべきにあらねど、ここにはただかかる行動を為《な》す蛇は実際ないてふ小説を受け売りし置く。
予の宅に白蛇棲んでしばしば形を現わすが、この夏二階の格子の間にその皮を脱ぎしを見付け引き出そうとすれど出ず。それは只今言った通り蛇の腹の多数の麟板の後端が格子の木の外面にある些細な凸起に鈎《かか》り着いて、蛻《ぬけがら》を損せずに尾を持って引き出し得ぬと判り、格子の外なりし頭を手に入れその方へ引くと苦もなく皮を全くし獲れた。無心の蛻すらかくのごとくだから、活きた蛇が穴中に曲りその腹の麟板が多処に鈎り着き居るを引き出すは難事と見え、『和漢三才図会』に、穴に入る蛇は、力士その尾を捉えて引くも出ず、煙草脂《タバコやに》を傅《つ》くれば出《い》づ。またいわく、その人左手自身の耳を捉え右手蛇を引かば出づ、その理を知らずといえり。この辺で今伝うるは、一人その尾を捉え他の一人その人を抱きて引けば出やすしと。
十六世紀のレオ・アフリカヌスの『亜非利加記《デスクリプチョネ・デル・アフリカ》』第九篇には、沙漠産ズッブてふ大蜥蜴をアラブ人食用す。
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