著わすは難くもあるかなだ。まして本篇などは、多用の片手間に忙ぎ書くもの故、多少前後|揃《そろ》わぬ処があってもかれこれ言うなかれと、蛇足と思えど述べて置く。琉球の永良部鰻《えらぶうなぎ》など、食用さるる海蛇あるは人も知るが、南アフリカのズーガ河に棲む水蛇も、バエイエ人が賞翫する由(リヴィングストンの『宣教紀行《ミショナリ・トラヴェルス》』三章)このついでに受け売りす。ケープ、カフィル人は魚を蛇に似るとて啖《く》わずと(バートンの『東亜非利加初行記《ファースト・フートステプス・イン・イースト・アフリカ》』第五章)。
 蛇足の喩《たと》えは『戦国策』に見ゆ。昭陽楚の将として魏を伐《う》ち更に斉を攻めた時、弁士|陳軫《ちんしん》斉を救うためこの喩えを説き、昭陽に軍《いくさ》を罷《や》めしめた。一盃の酒を数人飲まんとすれど、頭割りでは飲むほどもなく一人で飲むとあり余るから、申し合せて蛇を地に画き早く成った者一人が飲むと定め、さて最も早く蛇を画いた者が、その盃を執りながら、この蛇の足をも画いてみせようと画き掛くる内、他の一人その盃を奪い取り、蛇は足なきに定まったるに、無用の事をするから己《おれ》が飲むとて飲んでしまい、足を画き添えようとした者その酒を亡《うしの》うた。公も楚王に頼まれて魏を破ったら役目は済んだ。この上頼まれもせぬ斉国を攻むるは、真に蛇足を書き添える訳だと説いたのだ。ムショーの『艶話事彙《ジクショネール・ド・ラムール》』にも、処女が男子に逢《あ》い見《まみ》えし事の有無は、大空を鳥が飛び、岩面を蛇が這った足跡を見定むるよりも難いと、ある名医が嘆じたと載す。この通りないに相場の定まった蛇の足とは知りながら、既に走り行《ある》く以上は、何処かに隠れた足があるのであろうと疑う人随分多く、そんな事があるものかと嘲る人も、蛇がどうして走り行くかを弁じ得ぬがちだ。誠に愍然な次第故、自分も知らぬながら、学者の説を受け売りしよう。
 そもそも蛇ほど普通人に多く誤解され居るものは少ない。例せば誰も蛇は常に沾《ぬ》れ粘ったものと信ずるが、これその鱗が強く光るからで、実際そんなに沾れ粘るなら沙塵が着き、重《おも》りて疾く走り得ぬはずでないか。その足に関する謬見は一層夥しく、何でも足なければ歩けぬと極《き》めて掛かり、何がな足あるにしてしまわんと種々の附会を成した。支那の『宣室志』にい
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