拷椋《ごうりゃく》百数といえどもついに死せず、ただし性大寒にして能く陽道を萎せしめ人をして子なからしむ〉。ランドの『安南風俗迷信記』にこの蛇土名コン・トラン、その脂を塗れば鬚生ずとあれば漢医がこれを大寒性とせるは理あり、『※[#「土へん+卑」、第3水準1−15−49]雅』には〈※[#「虫+冉」、227−3]蛇の脂人骨に著《つ》くればすなわち軟らかなり〉。さてマルコの書をユールが注して、これは※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《がく》の事だろう、イタリアのマッチオリは※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の胆が小|瘡《かさ》や眼腫に無比の良薬だといったと言うたは甚だ物足らぬ。両《ふたつ》ながら胆が薬用さるるからマルコの大蛇と※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]と同物だとは、不埒《ふらち》な論法なる上何種の※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]にもマルコが記したごとき変な肢がない。予|謂《おも》うにマルコはこの事を人伝《ひとづて》に聞書《ききがき》した故多少の間違いは免れぬ。すなわち頭に近く二前脚ありとは全く誤聞だが、ここに件《くだん》の大蛇が※[#「虫+冉」、227−8]蛇すなわちピゾン・レチクラツスたる最も有力な証拠はすべて蛇類は比較的新しき地質紀に蜥蜴類が漸次四脚を失うて化成した物で、精確にこれまでが蜥蜴類これからが蛇と別つ事はならぬ。されば過去世のピゾノモルファ(擬蟒蛇《うわばみもどき》)など体長きこと蟒蛇に逼《せま》りながら確かに肢を具えていた。さて※[#「虫+冉」、227−11]蛇《ボイダエ》群の蛇はおよそ六十種あり、熱帯アメリカのボアやアナコンダ、それから眼前予の論題たる※[#「虫+冉」、227−12]蛇《ピゾン》、いずれも横綱|著《つき》の大蛇がその内にある。知人英学士会員プーランゼーは、※[#「虫+冉」、227−13]蛇《ボイダエ》群は蛇のもっとも原始な性質を保存すと言った。その訳はこの一群の諸蛇蜥蜴を離るる事極めて遠からず、腰骨と後足の痕《あと》をいささかながら留めおり、すなわち後足の代りに何の役にも立たぬ爪二つ相対して腹下にある。これ正しくマルコが鷹また獅の爪ごとき爪が後足を表わすといえるに合い、南詔国(現時雲南省とシャン国の一部)辺に※[
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