るに至らん。
 角ある蛇の事、『大清一統志』一五三に、※[#「分+おおざと」、274−3]州神竜山に、長《たけ》寸ばかりの小蛇頭に両角あるを産す。『和漢三才図会』に、青蛇は山中石岩の間にあり、青黄色にて小点あり、頭大にして竜のごとく、その大なるもの一丈ばかり、老いたるは耳を生ず。またウワバミにも、鼠の耳様な小さき耳ありと載せ、数年前立山から還《かえ》った友人言ったは、今もかの辺には角また耳ある蛇存すというと。『新編鎌倉志』には、江島の神宝蛇角二本長一寸余り、慶長九年|閏《うるう》八月十九日、羽州《うしゅう》秋田常栄院尊竜という僧、伊勢|詣《まいり》して、内宮辺で、蛇の角を落したるを見て、拾うたりと添状《そえじょう》ありとて図を出す。日本に角また耳というべきものある蛇が現存するとは受け取れぬようだが、外国にカンボジヤのヘルペトン、西アフリカのビチス・ナシコルニスなど鼻の上に角ごときものあり。北アフリカの角蝮《ホーンド・ヴァイパー》は眼の上に角を具う。それから『荀子』勧学篇に、※[#「縢」の「糸」に代えて「虫」、274−11]蛇《とうだ》足なくして飛ぶとは誠に飛んだ咄《はなし》だが、飛ぶ蛇というにも種々ありて、バルボサ(十六世紀)の『航海記』に、マラバル辺の山に翼ある蛇、樹から樹へ飛ぶと言ったは、只今英語でフライイング・ドラゴン(飛竜)と通称する蜥蜴の、脇骨長くて皮膜を被り、それを扇のごとく拡げて清水の舞台から、相場師が傘さして落ちるように、高い処から巧《うま》く斜めに飛び下りる事|※[#「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2−94−68]鼠《むささび》に同じきを言ったらしい。
『天野政徳随筆』には、京都の人屋に上り、たちまち雨風に遇った折、その顔近く音して飛ぶ物あり、手に持った鉄鎚《てっつい》で打ち落し、雨晴れてこれを見るに長四尺ばかりの蛇、左右の脇に肉翅を生じてその長四、五寸ばかり、飛魚の鰭《ひれ》のようだったと載す。プリニウスやルカヌスが書いたヤクルスてふ蛇は、樹上より飛び下りる事矢石より疾く、人を傷つけてたちまち死せしむというは、上述わが邦の野槌の俗伝にやや似て居る。一九一三年再版、エノックの『太平洋の秘密』(ゼ・セクレット・オブ・ゼ・パシフィック)一三一頁に記された、南メキシコのマヤ人の故趾に見る羽被った蛇も、能く飛ぶという表示であろう。したがって蛇の霊なる
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