産ませた談が能《よ》く似て居る。
また河童が馬を困《くる》しむる由諸方で言う。支那でも蛟が馬を害した譚が多く、『※[#「土へん+卑」、第3水準1−15−49]雅《ひが》』にその俗称馬絆とあるは、馬を絆《つな》ぎ留めて行かしめぬてふ義であろう。『酉陽雑俎』十五に、〈白将軍は、常に曲江において馬を洗う、馬たちまち跳り出で驚き走る、前足に物あり、色白く衣帯のごとし、※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]繞《えいじょう》数|匝《そう》、遽《にわか》にこれを解かしむ、血流数升、白これを異《あやし》み、ついに紙帖中に封じ、衣箱内に蔵《かく》す、一日客を送りて※[#「さんずい+産の旧字」、第4水準2−79−11]水に至る、出して諸客に示す、客曰く、盍《なん》ぞ水を以てこれを試さざる、白鞭を以て地を築いて竅《あな》と成す、虫を中に置き、その上に沃盥《よくかん》す、少頃《しばし》虫|蠕々《ぜんぜん》長きがごとし、竅中《きょうちゅう》泉湧き、倏忽《しゅっこつ》自ずから盤《わだかま》る、一席のごとく黒気あり香煙のごとし、ただちに簷外《えんがい》に出で、衆懼れて曰く必ず竜なり、ついに急ぎ帰り、いまだ数里ならずして風雨たちまち至る、大震数声なり〉。かかる怪に基づいて馬絆と名づけたらしい。『想山著聞奇集』に見えたわが邦の頽馬というは、特異の旋風が馬を襲い斃《たお》すので、その死馬の肛門開脱する事、河童に殺された人の後庭《しり》と同じという。それから『説文』に、〈蛟竜属なり、魚三千六百満つ、すなわち蛟これの長たり、魚を率いて飛び去る〉。『淮南子《えなんじ》』に、〈一淵に両蛟しからず〉、いずれも蛟を水族の長としたのだ。これらを合せ攷《かんが》うるに、わが邦のミヅチ(水の主)は、最初水辺の蛇能く人に化けるもので、支那の蛟同様人馬を殺害し、婦女を魅し婬する力あったが、後世一身に両役|叶《かな》わず、本体の蛇は隠居して池の主淵の主で静まり返り、ミヅチの名は忘らる。さてその分身たる河童小僧が、ミヅシ、メドチ、シンツチ等の号《な》を保続して肛門を覘《うかご》うたり、町婦を姙ませたり、荷馬を弱らせたりし居ると判る。もし本土の何処《どこ》かに多少有害な水蛇が実在するかしたかの証左が挙がらば、いわゆる河童譚はもと水蛇に根拠した本邦固有のもので、支那の蛟の話と多く相似たるは偶然のみと確言し得
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