その財物を奪うたとあるを、『沙石集』などに、財は人に禍する事毒蛇に等し、故に仏も阿難も、かく言ったと解したは最もだが、全体インドでは、伏蔵ある所必ず毒蛇が番すると一汎《いっぱん》に信ずるより、時に取ってかかる名言を吐いたのだ。『南史』に、〈梁武帝元洲苑に幸《みゆき》し、大蛇道に盤屈し、群小蛇これを繞るを見る、みな黒色、宮人曰く恐らくこれ銭竜ならん、帝銭十万貫を以て蛇処を鎮め、以てこれを厭す〉、これ支那でも蛇を銭の神としたのだ。
 アルバニアは俗伝に蛇が伏蔵を護り時々地上へ曝《さら》して、財宝に錆《さび》や黴《かび》の付くを防ぐ。牧羊人かつて蛇が莫大の金を巻けるを見、予《かね》て心得いた通り牛乳一桶をその辺に置き潜み窺うと、案の定かの蛇来て乳を飲み尽くし、また金を巻きいたが、渇いて何ともならずついに遠方へ水を求めに往った。その間に牧羊人大願成就|忝《かたじけ》ないと、全然《そっくり》その金を窃《ぬす》み得た(ハーンの『アルバニッシュ・スチュジエン』巻一)。ハクストハウセンが記したはアルメニア人言う、昔アレキサンドル王、その地にその妻妾を封じ込め、蛇をして守らしめたとあるも美女を財貨と同視しての談だ。インドで今も伝うるは、財を守る蛇はすこぶる年寄りで色白く体に長毛あり、財を与えんと思う人の夢にその所在を教え、その人寤《さ》め往きてこれを取らば、蛇たちまち見えなくなると(一九一五年版エントホヴェンの『コンカン民俗記《フォークロール・ノーツ》』七六頁)。また身その分にあらざるに、暴力や呪言もてかかる財を取った者は、必ず後嗣|亡《な》しと(同氏の『グジャラット民俗記』一四〇頁)。『類聚名物考』七は『輟耕録』を引いて、宋帝の後胤《こういん》趙生てふ貧民が、木を伐りに行って大きな白蛇己を噬《か》まんとするを見、逃げ帰って妻に語ると、妻白鼠や白蛇は宝物の変化《へんげ》だといって夫とともに往き、蛇に随って巌穴に入り、黄巣《こうそう》が手ずから※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1−88−54]《うず》めた無数の金銀を得大いに富んだというが、世俗白鼠を大黒天、白蛇を弁財天の使で福神の下属《てした》という。西土の書にも世々いう事と見ゆと載す。
 かく蛇が匿れた財宝を守るというより転じて、財宝が蛇に化《な》るとか、蛇の身が極めて貴い効用を具うるてふ俗信が生じた。ドイツの古話に、蛇の智
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