し。もしそれを脱るると、また他の蛙の方へ飛び行きて啖わる。能々《よくよく》観ると、岩面よりも岩の上に高坐した蛙の方が留まりやすき故、蠅が留まりに行って啖われるので、これらも大抵野猪と同じく、蠅の飛ぶ道筋が定まりおり、その道筋に当る所々に、蛙が時移るごとに身を移して、頭を擡《もた》げて待ちいるので、時と位置により、蛙の色種々に少しながら変るもなるべく蠅を惹《ひ》き寄せる便りとなるらしい。一度|忰《せがれ》が牧牛場から夥しく蠅を取り、翼を抜いて嚢《ふくろ》に容れ持ち来り、壺の蓋を去って一斉に放下せしに、石の上に坐しいた蛙ども、喜び勇んで食いおわったが、例の一番賢い蛙は、最初人壺辺に来ると知るや、直様《すぐさま》蓋近き要処に跳び上がり、平日通り蠅を独占しようと構えいたが、右の次第で、全く己より智慧《ちえ》の劣った者どもにしてやられ、一疋も蠅が飛ばねば一疋も口に入らず、極めて失望の体だった。
 蛇の魅力はまだ精査せぬが、蟾蜍《ひき》が毒気を吹いて、遠距離にある動物を吸い落すというはこんな事で、恐怖でも何でもなく、虎や大蛇アナコンダが、鹿来るべき場所を知りて待ち伏せするような事で、蟾蜍や蛙の舌は、妙に速く出入するがあたかも吸い落すよう見ゆるのじゃ。レオナードの『下《ラワー》ナイジァー|およびその諸民族《エンド・イツ・トライブス》』に、アジュアニなる蛇、玉を体内に持ち、吐き出して森中に置き、その光で鼠蛙等を引き寄せ食い、さてその玉を呑み納む。その玉円く滑らかにして昼青く夜光る。この玉を食中に置かば諸毒を避く。ただし蛇の毒には利かず。この玉を取らば光を失えども諸動物を引き寄する力は依然たる故、猟師これを重んじ高価に売買すとあって、著者の評に、これは蛇が眼を以て魅する力あるを、大層に言い立てたのであろうとある。

     蛇と財宝

 竜の条で書いた通り、欧亜諸国で伏蔵すなわち財宝を匿《かく》した処にしばしば蛇が棲むより、竜や蛇が財宝を蓄え護るという伝説が多い。また吝嗇家《しわんぼう》死して蛇となるともいう。『十誦律』に、大雨で伏蔵|露《あらわ》れたのを仏が見て、毒蛇だというと、阿難も悪毒蛇だといって行き過ぎた。貧人聞き付けて往き見れば財宝多し。それを持ち帰って大いに富む。その人と不好《ふなか》な者が、この者宝蔵を得ながら王に告げぬは不埒《ふらち》と訴えければ、王召してことごとく
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