いたが、妻子が念じて観音の助けで人間になり戻り二兄を滅ぼし繁盛した。羽州の八郎潟の由来書に、八郎という樵夫《きこり》、異魚を食い大蛇となったという(『奥羽永慶軍記』五)。しかし『根本説一切有部毘奈耶《こんぽんせついっさいうぶびなや》雑事』に、女も蛇も多瞋多恨、作悪無恩利毒の五過ありと説けるごとく、何といっても女は蛇に化けるに誂《あつら》え向きで、その例|迥《はる》かに男より多くその話もまたすこぶる多趣だ。
慙《は》じて蛇になった例は、陸前佐沼の城主平直信の妻、佐沼御前|館《やかた》で働く大工の美男を見初《みそ》め、夜分|閨《ねや》を出てその小舎を尋ねしも見当らず、内へ帰れば戸が鎖されいた。心深く愧《は》じ身を佐治川に投げて、その主の蛇神となり、今に祭の前後必ず人を溺《おぼ》らすそうだ(『郷』四巻四号)。愛執に依って蛇となったは、『沙石集』七に、ある人の娘鎌倉若宮僧坊の児《ちご》を恋い、死んで児を悩死せしめ、蛇となって児の尸《しかばね》を纏《まと》うた譚あり。妬みの故に蛇となったは、梁の※[#「希+おおざと」、第3水準1−92−69]《ち》氏(『五雑俎』八に見ゆれど予その出処も子細も詳らかにせぬから、知った方は葉書で教えられたい)や、『発心集《ほっしんしゅう》』に見えたわが夫を娘に譲って、その睦《むつ》まじきを羨むにつけ、指ことごとく蛇に化《な》りたる尼公《あまぎみ》等あり。
もしそれ失恋の極蛇になったもっとも顕著なは、紀伊の清姫《きよひめ》の話に留まる。事跡は屋代弘賢《やしろひろかた》の『道成寺考』等にほとんど集め尽くしたから今また贅《ぜい》せず、ただ二つ三つ先輩のまだ気付かぬ事を述べんに、清姫という名余り古くもなき戯曲や道成寺の略物語等に、真砂庄司の女《むすめ》というも謡曲に始めて見え、古くは寡婦また若寡婦と記した。さて谷本博士は、『古事記』に、品地別命《ほむじわけみこと》肥長比売《ひながひめ》と婚し、窃《ひそ》かに伺えば、その美人《おとめご》は蛇《おろち》なり、すなわち見《み》畏《かしこ》みて遁《に》げたもう。その肥長比売|患《うれ》えて海原を光《てら》して、船より追い来れば、ますます見畏みて、山の陰《たわ》より御船を引き越して逃げ上り行《いでま》しつとあるを、この語の遠祖と言われたが、これただ蛇が女に化けおりしを見顕わし、恐れ逃げた一点ばかりの類話で、正し
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