ム》盛んに行われ、一部族また一家族が蛇狼鹿、その他の諸物を各々その族の霊《トテム》としたらしいてふ拙見は、『東京人類学会雑誌』二七八号三一一頁に掲げ置いた。かくて稽《かんが》うると大国主神《おおくにぬしのかみ》は蛇を族霊《トテム》として、他部族の女に通いしが、蛇を族霊とする部族の男と明かすを聞いて女驚くを見、慙《は》じて絶ち去ったと見える。由って女も慙じて自ら陰を撞いて薨ずとあるを、何かの譬喩のように解かんとする人もあるようだが、他部族の男の種を宿さぬよう麁末《そまつ》な手術を仕損じてか、とにかくその頃の婦女にはかようの死様《しにざま》が実際あったので、現今見るべからざる奇事だから昔の記載は虚構だと断ずるの非なるは先に論じた。
また西アフリカのホイダー市には、近世まで大蛇を祀《まつ》り年々|棍《クラブ》を持てる女巫《みこ》隊出て美女を捕え神に妻《めあ》わす。当夜一度に二、三人ずつ女を窖《あな》の中《うち》に下すと、蛇神の名代たる二、三蛇|俟《ま》ちおり、女巫《みこ》が廟の周《ぐる》りを歌い踊り廻る間にこれと婚す。さて家に帰って蛇児を産まず人児を産んだから、人が蛇神の名代を務めたのだ(一八七一年版シュルツェの『デル・フェチシスムス』五章)。『十誦律』に、優波離《うばり》が仏に詣り、〈比丘の呪術をもって、自ら畜生形と作《な》り、行婬す〉、また〈三比丘の呪術をもって、倶に畜生形と作って行婬〉する罪名を問う事あり。ローマの諸帝中、獣形を成して犯姦せし者数あり。宋以来支那に跋扈《ばっこ》する五通神は、馬豚等の畜生が男に化けて降り来り、放《ほしいま》まに飲食を貪《むさぼ》り妻女を辱しむる由(『聊斎志異』四)、これは濫行の悪漢秘密講を結び、巧みに畜《けもの》の状をして人を脅かし非を遂げたのであろう。
人が蛇になった話は蛇のある地には必ず多少あって、その変化の理由も様々に説き居る。貪慾な者蛇となって財を守るとは、インド東欧西亜諸方に盛んな説で悪人生きながら蛇になる話はアフリカ未開人間にも行わる(一九〇三年版マーチン女史の『バストランド』十五章)。ただし貪欲でも悪人でもなくて蛇になった話もあって、甲賀三郎は、高懸山の鬼王とか、蛇に化けた山神を殺したとか(『若狭郡県志』二、『郷』三の十に引かれた『諸国旅雀』一)、その報いとしてか悪人の兄どもに突き落された穴中で、三十三年間大蛇となり
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