きとどき》かくのごとく、国史に載らねど、押勝の娘も、多数兵士に汚された事実があったのを、妙光女の五百人に二倍して、千人に云々と作ったのであろう。
フィリップ氏曰く、竜の英仏名ドラゴンは、ギリシアにドラコン、ラテンのドラコより出で、ギリシアのドラコマイ(視る)に因《ちな》んで、竜眼の鋭きに取るごとしと。ウェブストルに、竜眼怖ろしきに因った名かとある方、釈《と》き勝《まさ》れりと惟《おも》う。例せば上に引いたペルシアの『シャー・ナメー』に、竜眼を血の湖に比べ、欧州の諸談皆竜眼の恐ろしきを言い、殊に毒竜バシリスクは、蛇や蟾蜍《ひきがえる》が、鶏卵を伏せ孵《かえ》して生ずる所で、眼に大毒あり能く他の生物を睨《にら》み殺す、古人これを猟った唯一の法は、毎人鏡を手にして向えば、彼の眼力鏡に映りて、その身を返り射《い》、やにわに斃死《へいし》せしむるのだったという(ブラウン『俗説弁惑《プセウドドキシア・エピデミカ》』三巻七章、スコッファーン『科学俚俗学拾葉《ストレイ・リープ・オヴ・サイエンス・エンド・フォークロール》』三四二頁以下)。シュミットの『銀河制服史《ゼ・コンクエスト・オヴ・ゼ・リヴァー・
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