す、豈《あに》また宮あらん、たといこれあるもまたまさに鮫宇貝闕なるべし、必ずしも人間《じんかん》の木殖を藉《か》らざるなり、愚俗不経一にここに至る〉とあるより翻案したのだろう。さて『和漢三才図会』の著者が、〈けだし竜宮竜女等の事、仏経および神書往々これを言う、更に論ずるに足らず〉と結んで居るが、一概に論ずるに足らずと斥けては学問にならぬ、仍《よ》ってこれから、秀郷の竜宮入りの譚の類話と、系統を調査せんに、まず瑣末《さまつ》な諸点から始めるとしよう。
『氏郷記』に、少時間《すこしのま》で早く物を煮得る鍋を、宝物に数えたり、秀郷の子孫に限り、陣中女房を召し仕わざる由を特書したので、件《くだん》の竜宮入りの譚は、早鍋世に極めて罕《まれ》に、また中古の欧州諸邦と等しく、わが邦でも、軍旅に婦女を伴れ行く風が存した時代に出来たと知らる。今も所により、米升《こめのます》を洗うを忌むごとく、何かの訳で俵の底を叩くを忌んだのに附会して、ある女房俵の底叩いて蛇を出したと言い出したのであろう。外国にも、米と竜と関係ある話がある。これは蛇が鼠を啖《くろ》うて、庫を守るより出た事か、今も日本に米倉中の蛇を、宇賀
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