洋口碑大全』に引いた『神社考』には、太刀のほかの四品、『和漢三才図会』には太刀、鎧、旗、幕、巻絹、鍋、俵、庖刀、鐘と心得童子《こころえのどうじ》、計九品と一人、太刀の名|遅来矢《ちくし》と出《い》づ。寛永十年頃筆せられた『氏郷記』巻上にも、如上の十種を挙げた。鍋を早小鍋、俵を首結俵とし居る。また一伝に、露という硯《すずり》も将来したが竹生島へ納むとあり、太刀は勢州赤堀の家にあり、避来矢《ひらいし》の鎧は下野国《しもつけのくに》佐野の家にあり、童は思う事を叶《かな》えて久しく仕えしが、後に強《きつ》う怒られて失《う》せしとかや、巻絹は裁《た》ち縫うて衣裳にすれども耗《へ》らず、衣服に充満《みち》けるが、後にその末を見ければ延びざりけり、鍋は兵糧を焼《た》くに、少しの間に煮えしとなり。これも後には底抜けて、その破片《かけ》は蒲生家にありとぞ聞えし、俵は米を取れども耗らず、粮《かて》も乏しき事なし、それ故に名字を改め、俵藤太とぞ申しける。されども、将門《まさかど》退治の後、ある女房俵の底を叩いて米を開《あ》ければ、一尺ばかりの小蛇出で去りしより、米出でざりけり、これより始まりて、今俵の底を叩
前へ
次へ
全155ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング