さぬあの主様《ぬしさま》を、女殺しと誰言うた」とあるは、女の命を己れに打ち込みおわらしむてふ形容詞だが、今この殺婦は正銘の女殺しの大先生たるを怖れ、素女はもちろん寡婦さえ一人も取り合わぬ。相師の一言のおかげで、かかる美容を持ちながら盛りの花を空《むだ》に過さしむるを残念がって、請わるるままに父が妙光を殺婦に遣った心の中察するに余りあり。
殺婦長者既に多くの妻を先立てし罪業を懼《おそ》れ、新妻を娶ると直《す》ぐさま所有《あらゆる》鎖鑰《じょうかぎ》を彼女に附《わた》し、わが家の旧法仏僧に帰依すれば、汝も随時僧に給事して、惰《おこた》るなかれというた。爾来僧を請ずるごとに、妙光が自手給事するその間、美僧あれば思い込んで記《おぼ》え置く。ある日長者外出するとて、わが不在中に僧来らば必ず善く接待せよと言って置き、途上数僧に逢うて、われは所用あって失敬するが、家に妻が居る故必ず食を受けたまえというたので、僧その家に入ると、妙光たちまち地金を露《あら》わし、僧の前にその姿態嬌媚の相を作《な》す。僧輩無事に食い了《おわ》って寺に還り、かかる所へ往かぬが好かろうと相戒めて、明日より一僧も来ない。長者用済み還って妻に問うに、主が出で往った日来た限り、一僧も来らずと答う、長者寺に往って問うに、われら不如法《ふにょほう》の家に入らぬ定めだと対《こた》う。長者今後は必ず如法に請ずべければ何分前通りと切願して、僧輩も聞き入れ、他日来て食を受く、長者すなわち妙光を一室に鎖閉《とじこ》め、自ら食を衆僧に授くるその間、妙光室内でかの僧この僧と、その美貌を臆《おも》い出し、極めて愛染《あいぜん》を生じ、欲火に身の内外を焼かれ、遍体汗流れて死んだ。長者僧を供養しおわり、室を開けて見れば右の始末、やむをえず五色の氈《せん》もてその屍を飾り、葬送して林中に到る。折悪《おりあ》しく五百群賊盗みし来って、ここに営しいたので、送葬人一同逃げ散った。群賊怪しんで捨て去られた屍を開き、妙光女魂既に亡《うせ》たりといえども、容儀儼然活けるがごとく、妍華《けんか》平生に異ならざるを覩《み》、相《あい》いいて曰く、この女かくまで美艶にして、遠く覓《もと》むるも等類なしと、各々|染心《ぜんしん》を生じ、共に非法を行いおわって、礼金として五百金銭を屍の側において去った。天明《よあけ》に及び、四方に噂《うわさ》立ち皆いわく、果して相師の言のごとく、妙光女死すといえども、余骸なお五百人に通じ、五百金銭を獲たと。妙光死して天竺の北なる毘怛吐泉《びたとせん》の竜となり、五百牡竜来って共に常にこれに通じた。世尊諸|比丘《びく》に向いその因縁を説きたまわく、昔|迦葉仏《かしょうぶつ》入滅せるを諸人火葬し、舎利《しゃり》を収め塔を立てた時、居士女《こじのじょ》極めて渇仰して明鏡を塔の相輪中に繋《つな》ぎ、願わくはこの功徳もて後身世々わがある所の室処《へや》光明照耀日光のごとく、身に随《つ》れて出ん事をと念じた。その女の後身が妙光女で、願の趣聞き届けられて、居所室内明照日光のごとくだった。かく赫耀《かがやき》ながら幾度も転生《うまれかわ》る中、梵授王の世に、婆羅尼斯城の婬女に生まれ賢善と名づけ、顔容端正人の見るを楽《よろこ》ぶ。ところで予《かね》て王の舅《しゅうと》と交通した。ある時五百の牧牛人《うしかい》芳園で宴会し、何とよほど面白いが、少女の共に交歓すべきを欠くは残念だ、一人呼んで来るが好《い》い、誰が宜《よか》ろうと言うと、皆賢善女賛成と一決し、呼びに行くと、かの婬女金銭千文くれりゃ行こう、くれずば往かぬというたので、まず五百金銭を与えて歓を得、戯れ済んでまた五百金銭を渡せば如何《いかん》といい、婬女承諾して五百銭を受け、汝ら先往きて待ちおれ、我|※[#「靜」の「爭」に代えて「見」、第3水準1−93−75]飾《みじまい》して後より行こうという。衆去りて後婬女われかく多勢を相手に戯れては命が続かぬ、何とか脱《のが》れようをと案じて、かつて相《あい》識《し》った王舅に憑《たの》みて救済を乞わんと決心し、婢をして告げしめしは、かくかくの次第で、妾|迂闊《うかつ》の難題を承諾したが、何が何でも五百人は一身で引き受けがたい、さりとて破談にせば倍にして金を返さにゃならず、何とか銭も返さず身をも損ぜぬよう計らいくだされたいと頼むと、平常|悪《にく》からぬ女のこと故、王の力を仮りて女を出さず五百銭をも戻さずに、五百人を巻いてしまわせた。爾時《そのとき》辟支仏《へきしぶつ》あって城下に来りしを、かの五百|牧牛人《うしかい》供養発願して、その善根を以てたとい彼女身死するとも残金五百銭を与えて、約のごとく彼と交通せんと願懸《がんかけ》した。その業力《ごうりき》で以来五百生の内、常に五百金銭を与えて、彼女と非法を行う
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