の女|長《たけ》十丈ばかりの大蛇と現わる、時兼驚き還ってかの箱を開き見るに鐘あり、すなわち当寺に寄進す、かの沢より竜燈今に上るなり、霊験新たなるに依って、一条院勅額を竜寿鐘殿と下し賜わり、雪野寺を竜王寺と改めしむ、承暦《しょうりゃく》二年十月下旬、山徒これを叡山《えいざん》へ持ち行き撞けども鳴らねば、怒りて谷へ抛げ落す、鐘破れ瑕《きず》つけり、ある人当寺へ送るに、瑕自然愈合、その痕今にあり、年|旱《ひでり》すれば土民雨をこの鐘に祈るに必ず験あり、文明六年九月濃州の石丸丹波守、この鐘を奪いに来たが俄《にわか》に雷電して取り得ず、鐘を釣った目釘を抜きけれど人知れず、二年余釣ってあったとあるは、回祖《マホメット》の鉄棺が中空に懸るてふ[#「てふ」に「〔という〕」の注記]欧州の俗談(ギボン『羅馬帝国衰亡史《デクライン・エンド・フォール・オブ・ゼ・ローマンエンパイヤー》』五十章註)に似たり。
竜燈の事は、昨年九、十、十一月の『郷土研究』に詳論し置いた。高木君の『日本伝説集』一六八頁には、件《くだん》の女が竜と現じ、夫婦の縁尽きたれば、記念《かたみ》と思召せとて、堅く結んだ箱を男に渡し、百日内に開くべからずと教えて黒雲に乗って去った。男百日|俟《ま》たず、九十九日めに開き見るに、紫雲立ち上って雲中より鐘が現われたとあるは、どうも浦島と深草少将を取り交《ま》ぜたような拙《つたな》い作だ。また平木の沢には鐘二つ沈みいたが、一つだけ上がった方は水鏡のように澄み、一つ今も沈みいる方は白く濁る、上がった方の鐘は女人を嫌いまた竜頭を現わさず、常に白綿を包み置く、三百年前一向宗の僧兵が陣鐘にして、敗北の節谷に落し破ったが、毎晩白衣の女現われ、その破目《われめ》を舐めたとあるから、定めて舐めて愈《なお》したのだろ、これらでこの竜王寺の譚《はなし》は、全く後世三井寺の鐘の盛名を羨んで捏造された物と判りもすれば、手箱から鐘が出て水に沈むとか、女を忌む鐘の瑕を女が舐めて愈したなど、すこぶる辻褄合わぬ拙作と知れる。
『太平記』に、竜神が秀郷に、太刀、巻絹、鎧、俵、鐘、五品を与えたとあれど(『塵添※[#「土へん+蓋」、第3水準1−15−65]嚢抄《じんてんあいのうしょう》』十九には如意《にょい》、俵、絹、鎧、剣、鐘等とあり、鎧は阪東《ばんどう》の小山《おやま》、剣は伊勢の赤堀に伝うと)、巌谷君が、『東洋口碑大全』に引いた『神社考』には、太刀のほかの四品、『和漢三才図会』には太刀、鎧、旗、幕、巻絹、鍋、俵、庖刀、鐘と心得童子《こころえのどうじ》、計九品と一人、太刀の名|遅来矢《ちくし》と出《い》づ。寛永十年頃筆せられた『氏郷記』巻上にも、如上の十種を挙げた。鍋を早小鍋、俵を首結俵とし居る。また一伝に、露という硯《すずり》も将来したが竹生島へ納むとあり、太刀は勢州赤堀の家にあり、避来矢《ひらいし》の鎧は下野国《しもつけのくに》佐野の家にあり、童は思う事を叶《かな》えて久しく仕えしが、後に強《きつ》う怒られて失《う》せしとかや、巻絹は裁《た》ち縫うて衣裳にすれども耗《へ》らず、衣服に充満《みち》けるが、後にその末を見ければ延びざりけり、鍋は兵糧を焼《た》くに、少しの間に煮えしとなり。これも後には底抜けて、その破片《かけ》は蒲生家にありとぞ聞えし、俵は米を取れども耗らず、粮《かて》も乏しき事なし、それ故に名字を改め、俵藤太とぞ申しける。されども、将門《まさかど》退治の後、ある女房俵の底を叩いて米を開《あ》ければ、一尺ばかりの小蛇出で去りしより、米出でざりけり、これより始まりて、今俵の底を叩かぬ謂《いわ》れとなり、また秀郷の末孫、陣中にて女房を召し仕わざるも、この謂れとかや云々。秀郷を神と崇めて勢多に社あり(『近江輿地誌略』に、勢多橋南に秀郷社竜王社と並びあり、竜王社は世俗乙姫の霊を祭るという、傍なる竜光山雲住寺縁起に、秀郷水府に至りて竜女と夫婦の約あり、後ここに祭ると)、されば秀郷の子孫、勢多橋を過ぐるには、下馬して笠を脱ぎ、鈎匙《さじ》、小刀、鞭《むち》、扇等、何にても水中へ投げ入れ、礼拝して通るに必ず雨ふるなり云々、また曰く、下野国佐野の家にも秀郷より伝えし鎧あり、札に平石権現と彫り付け牡蠣《かき》の殻も付きたり、かの家にては「おひらいし」の鎧とて答拝せらるとなり、またかの鎧竜宮より持ちて上りし男、竜二郎、竜八とて二人あり、これも佐野家に仕えけるが、竜二郎は断絶す、竜八は今において佐野の秋山という処にこれあり、彼らが子孫は必ず身に鱗ありとなり、避来矢《ひらいし》の鎧と書き、平石にてはなしと、以上『氏郷記』の文だ。
『近江輿地誌略』に、ある説に鐺《なべ》は、蒲生忠知の室は内藤帯刀《ないとうたてわき》女《むすめ》なり、故に蒲生家断絶後内藤家に伝う、太刀は佐野の余流赤堀家
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